*増岡敏和は広島出身の詩人で、『原爆詩集』の峠三吉と一緒に詩のサークルで活動した。その後東京で民医連運動に参加しながら反核の詩を書いた。「戦争に反対する詩人の会」(982年10月〜2002年1月)に参加して「反戦のこえ」の編集に携わった。鈴木初江とも親しく、詩誌『稜線』の前号評を書いた。
*2010年に奥様が大島博光記念館を訪れています。<増岡敏和さんの奥様>
*「反戦詩人と市民の集い」(上田市民会館)における講演<抵抗詩について>
*わたしは歴史のなかに坐っていた<メニルモンタンの坂の街で>
歴史の中に坐っている詩
増岡敏和
詩はただ美をもり込むだけの器ではない
それは落ちた涙がきらめく武器でもあり
怒りと勇気がふるえ鳴り出す楽器なのだから
「おのれを与え おのれも与えられる愛」ゆえに
これは大島博光氏(一九一〇年生、現長野市出身)の詩の一連です。この詩句のなかに大島氏の詩に対する美学がいいつくされています。詩は「また落ちた涙がきらめく武器でも」あるという一行や、「怒りと勇気がふるえ鳴り出す楽器」という一行に、人間に対するやさしさと激励の限りのないものが感じとれます。
従って大島氏の詩精神はいつも、一人ひとりの人間の「生れ変って行くその道すじをもうたうこと」を大切にし、「悲しいまぼろしの〝自我〟を抱く」ことを拒否し、人間をごまかしいやしめ、愛や自由を「ぼくらの手からもぎとろうとしている」時代には、「いちばん大きな敵はどこにいるか、いちばん大事なことは何かと、つきつめてゆく」生き方に添って発揮されていくのです。
最近、大島氏は『大島博光全詩集』を刊行されています。そのなかから近作一篇を紹介しましょう。少し長いのですが、老青年的詩人の面目躍如たるものがあります。
わたしは鳩だから どこへでも飛んでゆく
風のように 世界じゅう 飛びまわっている
見れば ほうぼうに 戦争がいついている
ミサイルが空をつん裂き 人間がふっ飛ぶ
まるで戦争は いつも遠いところで起こって
新聞やテレビにのる 長くつづく物語のようだ
だがどんなに馴らされようと 戦争は戦争だ
硝煙がのぼり 戦車が走り ビルが崩れる
子どもを横抱きにして 走る母親たち
血にまみれた裸の少女が 道で泣いている
それはベトナムであったり グレナダであったり
ニカラグワであったり レバノンであったり
砂漠を サヴァンナを前進する迷彩服たち
世界の砂だまりにつくられる 巨大な蟻地獄
そこに黒い鷲の影があって ファシストがいて
殺されるのは いつも無辜の雀たちと自由
村も 街も そのまま 屍体置場となる
灼ける砂のうえで 血も涙も 乾いてゆく
武器のほとり まばゆすぎる太陽のしたで
眼もくちびるも バラとともにひからびてゆく
おお おのれの生を生きられなかったように
また おのれの死をも死ねなかった人たち
だが地獄の日にも やさしい眼をしていた人たち
おお 墓もない 花束もない 裸の死者たち
それら死者たちの名において 火を放つな
丘のつぐみたち 野の牛たち 矢車草に
生きている者たちの名において 火をつけるな
小麦畑と雲雀たちに 珈琲畑とひなげしに
青空大の わたしの鳩小屋に 火を放つな
核の斧を振りかざして 火をあぶりたてるな
これは「鳩の歌」連作のなかの「火をつけるな」という作品です。「武器のほとり まばゆすぎる太陽のしたで」以下後半は絶唱となっています。戦火に灼かれ殺された「地獄の日にもやさしい眼をした人たち」の、その名において、丘のつぐみや牛や矢車草に「火を放つな」というのです。心に沁みるようなやさしさを基底とし、人間のもつ愛とやさしさそのものをして、人間を殺しその尊厳をいやしめるものへの怒りのひびきに統一せしめてうたわれています。またこの詩を読むものをして、火を放たしめまいとする行動への勇気を呼びかけた作品に昇華させておられます。まことに「落ちた涙がきらめく武器」「怒りと勇気がふるえ鳴り出す」武器としての詩となっていると思います。
しかも詩を自己体験にとどめず、世界的政治的視野に据えて壮大にうたっておられます。大島氏の作品はそこに大きな一つの特徴があります。
それもそのはずです。大島博光氏はフランス文学者であり、ランボオやアラゴンやエリュアールなどの訳詩集があり、パリ・コンミューンやナチ・ドイツに対するフランス国民のレジスタンスのなかで活動した詩人たちを紹介した本も書かれています。またフランス語を通してネルーダやギュービックやベトナムの作品の翻訳もされ、そのなかで歴史的な視野を培われてきました。最近は『ピカソ』『ランボオ』という評伝も出版され、ますます盛んな老青年ぶりを発揮されています。
一九五〇年頃、原爆詩人峠三吉もわたしたちも、フランスの抵抗詩人アラゴンの『フランスの起床ラッパ』(大島訳)を読んで、アラゴンのような日本の抵抗詩人になろうと決意したものです。その訳詩集は、若き日のわたしの詩と人生に一つの決定打を与えた一冊でした。
また大島氏は、一九八四年はじめての詩集『ひとを愛するものは』で、多喜二・百合子賞を獲得され、今日詩と政治をもっとも鋭く融合させた思想的な詩人として活躍されています。
昨年長野県上田市で開催された反戦詩人と市民の集いに、ご一緒した大島氏はランボオについて語られたあと、とつとつとですが次のようにアピールされました。「われわれもいま、ランボオの如く、詩的才能がことばの砂漠のなかに封じこめられようとしている。詩を反核平和の武器とすることに対して、無視と嘲笑が大きく組織されている。その状況に膝を屈して、沈黙したり内部ごもりして負けてはならない」と。
今日もいつもこうして大島氏は他者を激励してやまない詩人です。それはわたしが大島訳のアラゴンで激励されたように、大島氏もまた次の詩句にみるようにフランスの抵抗詩人たちやパリ・コンミューンに、今日もなお直接激励されつづけておられるからでしょう。
燃えるパリの残り火に
血と泥が輝いていた
坂の下の街通りからおしよせてくる
ヴェルサイユ軍のときの声が
わたしの耳にきこえてくる
わたしは歴史のなかに坐っていた
人間はすべて「歴史のなかに坐って」います。問題はつねにそれを意識しどう行動するかです。大島氏はこのことをつねに訴えつづけておられる詩人でもあります。
(ますおか としかず 詩人・医療機関役員)
(『ゆたかなくらし』 一九八七年九月号)
- 関連記事
-
-
峠三吉と『原爆詩集』(下) 増岡敏和 2020/10/06
-
峠三吉と『原爆詩集』(中) 増岡敏和 2020/10/05
-
峠三吉と『原爆詩集』(上) 増岡敏和 2020/10/04
-
批評のある詩の艶 (「稜線詩集」跋文) 増岡敏和 2020/10/03
-
増岡敏和 「歴史の中に坐っている詩」 2020/10/02
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/4576-2521f2da
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック