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長田三郎「ぼくは戦争だけをにくむ」

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灯台




ぼくは戦争だけをにくむ
                               長田三郎

無数のフラッシュをたいたような
青白い閃光を浴びて目がくらみ
爆風で体が浮いて叩きつけられた
気がつくとあたりはまっ暗だ
背中の板をおしのけて
やっと這い出すと
家という家はつぶれて
切れた電線が
クモの糸のように垂れている
全身に突き刺さったガラスの間から
血が吹き出す
火傷《やけど》で喉《のど》がかわく
火がまわってくる
ぼくは這うようにして
川岸にたどりついたが
力つきて倒れ気を失った

ぼくは灯台守の子
ぼくたち家族五人は
みんな原爆で死んで
今は父が生まれた信州の
山辺の墓地でいっしょに暮らしている
スイカズラの白い花がにおい
ツツドリがつぶやく山辺の墓地で

ぼくは灯台守の子
いつも海辺で育った
佐渡ヶ島や伊豆の海岸
波おだやかな瀬戸内海の島
頭でっかちで海面をただようクラゲ
こわい顔をして海底にうずくまるオコゼ
海藻の間を縫《ぬ》ってすべるように泳ぐチヌ
みんなぼくの友だちだ
海辺の草原《くさはら》に腰をおろして
いつもハーモニカを吹いた
大好きな「浜辺の歌」を
島かげに夕日がしずむと
波打ち際で夜光虫が光り
父が灯台に灯をともすと
波頭《なみがしら》が銀色にきらめいた

中学に入ると広島の街で下宿した
下宿のおばさんはよくしてくれたが
それでも心細かった
八月五日 思いがけず母が
弟二人をつれて来てくれた

街の映画館に行った
「次郎物語」を観ているうちに
いつかぼくは主人公の少年になって
いっしょに泣いたり笑ったりしていた
末の弟は母の膝で眠っていた

旅館で食事をして
母子四人枕をならべて寝た
翌朝早くぼくが出かけるとき
弟二人はまだ眠っていたが
母は玄関まで見送ってくれた
それが最後の別れになるとも知らずに

学校報国隊三百二十二人
元気よく声をかけ合って
建物疎開の作業にかかっていた
B29が横っ腹を光らせて急上昇すると
むごたらしい地獄絵がくりひろげられた
服も体も焼かれ黒こげになった肉塊
手の甲までむけてぶらさがった皮膚
衝撃で飛び出し顔面に垂れている眼球
腸を引きずりながら地面を這っていく
「水をくれ! 水をくれ!」
とぎれとぎれに聞こえていた
先生や友だちの声が遠ざかり
目の前が暗くなっていった

転《ころ》がっている死体の首すじに
鳶口《とびぐち》をかけて引きずっていく
山積みにしては重油をかけて焼く
警防団のおじさんが
ぼくの胸に残っていた名札を
紙切れに写して骨壷に入れてくれた

灯台守の父は島を出て
焼け野原になった街を
ぼくをさがして歩き回った
ぼくのすぐ前を何度も通ったのに
なぜかぼくの声は父にとどかなかった

末の弟の小さな骨が旅館の焼跡で見つかり
ガスを吸った母も小学生の弟も死んだ
放射能の残留する街を歩き回った父も
とうとう癌でたおれた

あの日から四十一年たって
原爆供養塔の地下の扉があけられ
骨壷が開かれ
ぼくの名前を書いた紙切れが見つかった
ぼくは飛行機に乗せられて
両親と弟二人が待っている
ふるさとの墓地に帰った

一九四五年
八月六日午前八時十五分
ぼくの時計はあの時から止まったままだ
ぼくは今も十四歳だ
信州の山辺の墓地にいても
いつも海辺で育ったぼくは
潮の香りや海鳴りの音をなつかしむ
ハーモニカを吹いた瀬戸内海の浜辺を
ぼくの頭のなかで
いつも一つの考えがくすぶっている
人間はなぜ戦争をするのか?
人間どうし戦争させるものは何か?
科学はだれのためのものか?
ぼくたち家族五人が死んだのも
戦争のためだ
ぼくはだれもうらまない
ぼくは戦争だけをにくむ

         (一九八六・七・二〇)

(詩集『反戦のこえ』第10集 1987.6)
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