fc2ブログ

池田久子「街道」

ここでは、「池田久子「街道」」 に関する記事を紹介しています。


1


2


(詩集『反戦のこえ』第10集 1987.6)

松本





 街 道          池田久子

そこは江戸時代までは
善光寺街道と呼ばれた古い街道であった
善光寺もうでの善男善女が
ひきもきらず通ったという
街道ばたには何軒もの旅籠があって
旅人を泊めた

そこは職人町でもあった
ここへ来れば
生活《くらし》の道具は何でも間に合った
 鍛治屋・金物屋・畳屋・袋物・塗物・
 細工師・建具屋・大工
生活の音の町であった

鍛治屋ではフイゴが鳴り
お内儀さんの向こう槌の音
建具屋ではノコギリの音
その間を走りまわる奉公人の雪駄や麻裏ゾーリの音
荷車修理に来る村人や
馬のひずめの音といななき
子供のケンカ
子供らはお稲荷さんの庭で終日遊びくらす
夕方家いえの灯《あか》りがつき
お内儀さんは一升徳利を抱えて酒屋へ走る
ついでに
ひょいとたまり場をのぞいて
──スエ子ォ御飯だに帰りィ
と子供を呼ばった

そんな時代のかぐわしい風景をこわしたのは誰
そんな生活の足音を消したのは誰
街道を狂暴な時代がキバをむいてやって来た
  ザクザク ザクザク
けれど
──あぶない 赤頭布ちゃん気をつけて
などという人はいなかった

ここに一枚の写真がある
昭和十二・三年に写された
街道をゆく白木の箱の隊列
抱かれた遺骨は
街道先の連隊本部へと向かっていった
その二年間だけで
千百四十八名の遺骨が
街道を風になって通りすぎた
  ザクザク ザクザク
きこえたのは戦の足音ばかり
狂った時代の足音ばかり
骨になった兵士たちは
風になって足音もなく通りぬけたので
やっぱり
──あぶない 赤頭布ちゃん気をつけて
などという声はきけなかった

明治の末に誘致され
屈強の部隊と呼ばれた松本歩兵第五十連隊
その三千百五十一名が
最後の侵略戦に出向いた南の島
テニアン島で全滅したのは
昭和十九年八月二日だった
軍国主義の一時代
街道は〝連隊通り〟と呼ばれていた

一九八七年一月

冬の街道ばたには摘む花もないが
耳をすましてごらん
  ザクザク ザクザク
──あぶないよ 今度こそ赤頭布ちゃん気をつけて!

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/4514-db9a05ef
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック