伊藤君を想ふ 大島博光
伊藤君、きみは不思議な日本の子であった。君は星と夜の風を愛すると同時に、あまり詩人の愛さない刀や甲胃が好きであった。君はいつも眼に見えない刀を、あたかも武士のやうにもち歩いていた。ときどき、この君の無形の刀はデェモンに憑かれて、街頭に振りかざされたこともあった。凡俗への侮蔑に駆られて、君は街頭で罵倒の一撃を放ったこともあった。しかし、ひとたびデェモンが去るや、君は詩を書き、自殺した或る少女へ、少年のやうな追憶をささげていた。
去年の秋から冬にかけて、君は飛行士のやうなジャムパアを着て、まるで今にも舞ひあがるやうな颯爽さで、新宿の街を歩きながら、春の卒業とともに、既に行くことにきまっていた上海の新聞社のことを話してくれた。君は大陸に何んと多くの夢をもって、その近い未來のことを語っていたことか。新聞の学芸欄を詩で埋めてみたいとか、すばらしい芸術論やエッセイを集めて、大陸の文化につくしたい、などと、君の胸にはもう多くの計画が渦巻いていた。さうして上海へ行くときには、あの黄いろいジャマパアを私にかたみに置いてゆくことまで決めていたのだ。
君が病床に倒れてから、読みたいといってきた書物は、グンドルフの「詩人と英雄」であった。さうしてこの書物ほど君にふさはし
く、よき書物はなかった。私たちは、君がふたたび病床から、詩人として、英雄として、立ちあがってきてくれることを祈っていた。
さうして春がきたとき、君は立ちあがってきてくれなかったばかりか、上海よりも遙かに遠い大陸へ行ってしまった。私の眼には黄いろいジャムパアを着て、永遠の道をひとりゆく君の姿が見える。もうその君の姿にはあの無形の刀さへ見えない。君はただ己れの內部に熟しつつ歩いてゆく……
しかし、もうひとりの君は、私の観念の上海に生きつづけている。詩人記者として。
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