おなじような民衆への侮蔑は、つぎのような言葉にも示されている。
「世界のすべての歴史がまちがって理解されている、ということがあるのだろうか。過去はすべてその時代のおろかな民衆についてだけ語ったのだから誤謬である。中心をなす一人の人間についてこそ語らねばならぬ場合、それが未知であり、すでに死んでしまったというつまらぬ理由で、有象無象の周囲の人垣だけを語るのとちっとも違わぬではないか。」
このような封建貴族的な考えかたは、おちぶれてもなお「家柄」をだいじに誇ることばとなってあらわれてくる。「僕はまずしい。毎日着ている着物はもうやぶれかけているし、僕のはいている靴は穴があいてきた。もっとも、僕のカラーだけはよごれていない。僕のワイシャッツもきれいだ。……僕の手はとにかく、すくなくとも家柄のよさを示している。毎日、四度か五度はきれいに洗っているのだから……」
こうして、「マルテの手記」のなかに出てくるみじめなひとびとは、レアリズムやヒュマニズムによってとらえられることなく、一つの風景か、風景にそえられた人物としてとらえられ、マルテを浮き立たせる「人垣」として描かれている。みじめな人物たちは、けっしてそれ以上に追求もされなければ、深められもせず、ましてかれらの運命については愛のことばさえもあたえられない。かれらは断片的な画面となることで終って、「中心をなす一人の人間」マルテをうき立たせる「人垣」にすぎず、またいつのまにか、マルテの精神風景そのものに転化されてしまう。それは対象の真実にせまるかわりに、対象を自己の主觀をとおしてのみ眺め、ゆがめ、自己の抒情をもっておおい、自己の観念にすべてを奉仕させる手法である。これはリルケが詩のばあいにもよく用いる手法だ。「マルテの手記」のなかで、リルケは詩について、つぎのように書いている。
「詩は人の考えるように感情ではない……詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人人、あまたの書物をみなければならぬ。……それらをみんな詩人はおもいめぐらすことが出来なければならぬ。いや、ただすべてをおもい出すだけなら、実はまだ大したことではないのだ。……産婦のさけぶ叫び。白衣のなかにぐったりと眠りおちて、ひたすら肉体の恢復をまっている產後の女。詩人はそれをおもいでに持たねばならぬ。……しかも、こうした追憶をもつだけなら、まだ一向何のたしにもなりはせぬ。追憶がおおくなれば、つぎにはそれを忘却することが出来ねばならぬだろう。……追憶が僕らの血となり、眼となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することが出来なくなって、初めて、ふとした偶然に、一篇の詩の最初の言葉はそれら思い出のまんなかに思い出のかげからぽっかりうまれて来るのだ」
ここには、いかにも詩人らしい主体的な態度がかたられている。しかし、問題はこの詩人の主体にある。この主体はどのようにでも対象をとらえることができる。リルケのばあいこのような態度から、対象を局部的にとらえ、孤立的なものとしてきりはなし、抽象し、やがてそれを自己の精神や観念へむすびつけるという、象徴的手法がでてくる。すべては、社会的な闘係やつながりにおいて、レアリスティクにとらえられることなく、詩人の主観的な恣意によって、断片的に、孤立的にぬきとられ、主体の精神風景や心象をくみたてる材料につくりかえられ、あるいは神とか永遠とかいう作者の觀念へみちびかれ、またそれらを呼びだすための手だてになってしまう。ロダンから造形的なものの見かたを学び、「見ることは愛することだ。」「歌は存在である。」ともいって、あのように見るということや形象や存在をとうとびながら、リルケはそれらをじぶんの観念に似せてとらえ、抽象し、じぶんの願望にすりかえてしまう。それはけっきよく現実から遠く身をひいたものの観念的な手法であり、うしろ向きのロマンチスムのひとつである。
このような手法は、リルケの思想・生活態度のすべてとからみあっているものだ。社会的な生活をおそれ、都会をおそれ、孤独のなかにとじこもって、ひたすら己の内面のみを迫求する、孤独者・孤立者から、それは出てきている。それは生よりはむしろ死のがわに近い。リルケがこのんで死やたそがれを歌うのも故のないことではない。かれの眼はほとんど現在と未来へ投げられることなく、つねに過去へと向い、地上的ではなく、天上にそそがれている。そこで語られる愛は、時代おくれなロマンチックな愛であるにすぎず、それはけっしてヒュマニスティクな人間愛へとは発展しない。
これが私の争だ。
憧像に身をささげて
毎日を歩み過ぎる。
それから、強く広く、
数千の根の條で、
深く人生に掴み入る──
悩みを経て
遠く人生の外に熟す。
時代の外に。 (茅野粛々訳)
(つづく)
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