詩誌『歌ごえ』について(四)
大島朋光
『歌ごえ』四号(七月号)は昭和二十三年(一九四八年)七月に長野市で発行されました。評論・散文六篇、詩十篇、長詩二篇、投稿作品十篇などが収められ、執筆者の大半は新日本文学会会員となっています。
一、評論・散文
・ プロレタリア詩にふれて……佐藤さち子*
・ 朗読詩をとりあげよ………近藤東*
・ 詩の分業……竹中久七
・ 江森盛彌詩集『わたしは風に向って歌う』を読め!……新島繁*
・ 大鉄の詩人たち……乾宏
・ すべてのものと歌はねばならぬ……岡田芳彦*
二、長詩
・ とんきち二等兵……サカイ・トクゾウ*
・ 農奴の死─ものがたり詩「赤鼻のマロース」の中から……ネクラーソフ 谷耕平訳
三、詩
・ 食後の歌……エモリ・モリヤ*
・ 偶作……金子光晴*
・ 断想……大江満雄*
・ 夜きこえてくるのは……北條さなえ*
・ 火花……藤田三郎
・ アルバイト……野田昭三
・ 友よねむれ……武內辰郎*
・ 風の中の道標……眞貝欽三
・ 帽子……関淳二郎
・ 窓……松島忠
四、投稿詩(作品コンクール)
「高架作業」さとう・しん、「欠伸と闘う」小熊忠二、「その檻をやぶれ」ふびと・かめだ、「酔いなきのろれつ」宮下今朝友、「果実 矢野千代子に送る」眞弓亮、「繋がれた牛 自らに」山寺辰巳。「鋼鉄の杭」おさむ・よしむら、「柱について」ムラカミ・マサユキ、「老工のうた」小林昴、「赤旗をにぎりしめて」ムトウ・タケヲ
(*印は新日本文学会会員)
*
冒頭の「食後の歌」(エモリ・モリヤ)は過激な言葉をまじえながらも、どこかユーモラスな詩です。
エモリ・モリヤ(江森盛彌)の詩集について新島繁が詩集評「『わたしは風に向って歌う』を読め!」で書いています。
「夜きこえてくるのは」(北條さなえ)は群像劇を観るような印象的な詩です。
*
長詩「とんきち二等兵」(サカイ・トクゾウ)は前号の続編。逃げ遅れて八路軍につかまったとんきち二等兵は新しい村に迎えられた。そこでは働く者同士が助け合い話し合う、明るい村の政治をしていた。とんきちは世界や日本のこと、民主主義のことを学び、戦争が終わると元気な体で日本に帰ることができた。故郷の村の人たちは彼が戦死したと思っていたので大喜び、彼は民主的な村づくりを誓うのでした。中国で過ごしたサカイ・トクゾウの体験から生まれた作品でしょう。
*
ネクラーソフ「農奴の死(その一節)」(谷耕平訳)では農奴の寡婦ダーリャを、外見的には弱々しくとも、心の底には圧迫にも苦しみにも負けない強さをもったスラヴ女の美しい典型として描いています。
本当の人民解放を願う精神がネクラーソフにこの詩を書かせていると訳者は言います。谷耕平は早稲田大学教授を務めたロシア文学者で、「デカブリストの妻」(ネクラーソフ作・谷耕平訳 新星社 昭和二十二年)を刊行しています。当時書籍の訪問販売をしていた大島静江(博光の妻)がこの本を扱い、博光が手にしたことが谷耕平への執筆依頼につながったと思われます。
*
佐藤さち子の「プロレタリア詩にふれて」が評論の主軸に据えられています。六ページ七千字の力作で、戦前のプロレタリア詩運動に参加した詩人たちの活動にふれながら、民主主義文学運動を担う詩人の課題について論じています。
「大鉄の詩人たち」は大阪方面の国鉄で活動している多くの詩人たちについて紹介しています。
*
大島博光は編集に徹して自分の作品を掲載せず、わずかに編集後記で発言しています。
それでは『歌ごえ』は五号以降は発行されたのでしょうか?
(つづく)
【訂正】
『狼煙』九十一号に掲載された「『歌ごえ』について(三)」 で作品コンクールの次の四作品は『歌ごえ』四号掲載でした。さとう・しん「高架作業」、小熊忠二「欠伸と闘う」、ふびと・かめだ「その檻をやぶれ」、宮下今朝友「酔いなきのろれつ」。
また『歌ごえ』三号の作品コンクールには次の四作品が抜けていましたので、追加して訂正します。ひでなお・たかだ「手のひら」、及川知道「誰がために」、野上博「きずあと」、伊藤一「唯生きてゆくために」
二〇二〇年五月
(長野詩人会議『狼煙』92号)
大島朋光
『歌ごえ』四号(七月号)は昭和二十三年(一九四八年)七月に長野市で発行されました。評論・散文六篇、詩十篇、長詩二篇、投稿作品十篇などが収められ、執筆者の大半は新日本文学会会員となっています。
一、評論・散文
・ プロレタリア詩にふれて……佐藤さち子*
・ 朗読詩をとりあげよ………近藤東*
・ 詩の分業……竹中久七
・ 江森盛彌詩集『わたしは風に向って歌う』を読め!……新島繁*
・ 大鉄の詩人たち……乾宏
・ すべてのものと歌はねばならぬ……岡田芳彦*
二、長詩
・ とんきち二等兵……サカイ・トクゾウ*
・ 農奴の死─ものがたり詩「赤鼻のマロース」の中から……ネクラーソフ 谷耕平訳
三、詩
・ 食後の歌……エモリ・モリヤ*
・ 偶作……金子光晴*
・ 断想……大江満雄*
・ 夜きこえてくるのは……北條さなえ*
・ 火花……藤田三郎
・ アルバイト……野田昭三
・ 友よねむれ……武內辰郎*
・ 風の中の道標……眞貝欽三
・ 帽子……関淳二郎
・ 窓……松島忠
四、投稿詩(作品コンクール)
「高架作業」さとう・しん、「欠伸と闘う」小熊忠二、「その檻をやぶれ」ふびと・かめだ、「酔いなきのろれつ」宮下今朝友、「果実 矢野千代子に送る」眞弓亮、「繋がれた牛 自らに」山寺辰巳。「鋼鉄の杭」おさむ・よしむら、「柱について」ムラカミ・マサユキ、「老工のうた」小林昴、「赤旗をにぎりしめて」ムトウ・タケヲ
(*印は新日本文学会会員)
*
冒頭の「食後の歌」(エモリ・モリヤ)は過激な言葉をまじえながらも、どこかユーモラスな詩です。
六冊のボロ詩集が/やみ市の、やきたての/十個のパンにかわったが/バタもない晩めしだ。
うまいのか、これが?/よろこんで食う子供らよ!
もうお前らはしっている──/たゝかわねばならぬことを/もうお前らはしっている/早く工場え/いくように なれ!/細胞の集会えも/いくようになれ!/いいとも、ことによったら/牢屋えも行くがいい/そうして、あいかわらずの/やせっぽちでも/ともかくスジガネの入った男となれ!
八路軍の兵士たちとも/スタハノフ主義者たちとも/りっぱに握手のできる男となれ!
さア、今晩はお前たちに/チフリスの靴屋の男の子が/えらい革命家になった話を、しよう。
うまいのか、これが?/よろこんで食う子供らよ!
もうお前らはしっている──/たゝかわねばならぬことを/もうお前らはしっている/早く工場え/いくように なれ!/細胞の集会えも/いくようになれ!/いいとも、ことによったら/牢屋えも行くがいい/そうして、あいかわらずの/やせっぽちでも/ともかくスジガネの入った男となれ!
八路軍の兵士たちとも/スタハノフ主義者たちとも/りっぱに握手のできる男となれ!
さア、今晩はお前たちに/チフリスの靴屋の男の子が/えらい革命家になった話を、しよう。
エモリ・モリヤ(江森盛彌)の詩集について新島繁が詩集評「『わたしは風に向って歌う』を読め!」で書いています。
內にたゝえられた烈しいプロレタリア魂を、東西南北自由自在にかけめぐる微風、烈風、暴風に託して、国じゅうの人民に、なおも出来れば世界の果ての人民にまで伝えようとするこの詩集──江森盛彌の処女詩集、「わたしは風に向って歌う」──を、読め! 読め! 読め! ……三人の、今は亡き同志又は僚友にささげられた哀悼の詩は、いずれも溢れるばかりの熱い友情の一字一句に、深い感動を催されずにはいられないものである。……だが、これほどの溢れる熱い友愛をもつが故に、他面、この詩人の憎しみの対象に対する攻撃は猛烈であり、勇敢であり、奇抜でもある。それがこの詩集の大部分を占める諷刺詩を一貫している。
*「夜きこえてくるのは」(北條さなえ)は群像劇を観るような印象的な詩です。
夜はくらい/私は風の悲しい唄をきく/樹々のはげしいなげきの唄をきく
……
ドドム ドドム ドドム/ドドム ドドム ドドム/やみにとどろくたいこの音
ドドム ドドム ドドム/夜をつらぬくラッパのひびき/そして多くの人のあし音が
ドドム ドドム ドドム/空をおおうやみのうた 呪いのうた/胸えぐるそのうたごえ
みよ そこには多くの人々が/嵐のなかをすすんでゆく/いかりの涙をながしつつ
……
行手には憲兵たちが銃剣で/民衆の胸をつきやぶり/血汐は街に流れている
だが人々は進んでゆく/さばきと呪いのうたをうたいつつ/男も女も子供もそして老人たちも
……
そとには兵士のくつ音が/重たく悲しげにすぎて行く/ほろびと死の軍歌をうたいつつ
私はじっとすわっていた/おののく唇をかみしめて/ふかいくらい嵐の夜
(一九四一年、中日事変中の作)
……
ドドム ドドム ドドム/ドドム ドドム ドドム/やみにとどろくたいこの音
ドドム ドドム ドドム/夜をつらぬくラッパのひびき/そして多くの人のあし音が
ドドム ドドム ドドム/空をおおうやみのうた 呪いのうた/胸えぐるそのうたごえ
みよ そこには多くの人々が/嵐のなかをすすんでゆく/いかりの涙をながしつつ
……
行手には憲兵たちが銃剣で/民衆の胸をつきやぶり/血汐は街に流れている
だが人々は進んでゆく/さばきと呪いのうたをうたいつつ/男も女も子供もそして老人たちも
……
そとには兵士のくつ音が/重たく悲しげにすぎて行く/ほろびと死の軍歌をうたいつつ
私はじっとすわっていた/おののく唇をかみしめて/ふかいくらい嵐の夜
(一九四一年、中日事変中の作)
*
長詩「とんきち二等兵」(サカイ・トクゾウ)は前号の続編。逃げ遅れて八路軍につかまったとんきち二等兵は新しい村に迎えられた。そこでは働く者同士が助け合い話し合う、明るい村の政治をしていた。とんきちは世界や日本のこと、民主主義のことを学び、戦争が終わると元気な体で日本に帰ることができた。故郷の村の人たちは彼が戦死したと思っていたので大喜び、彼は民主的な村づくりを誓うのでした。中国で過ごしたサカイ・トクゾウの体験から生まれた作品でしょう。
*
ネクラーソフ「農奴の死(その一節)」(谷耕平訳)では農奴の寡婦ダーリャを、外見的には弱々しくとも、心の底には圧迫にも苦しみにも負けない強さをもったスラヴ女の美しい典型として描いています。
生れながら負わされた 三つのふしあわせ
だい一は――農奴の妻となるべきこと
だい二は――農奴の子の母となるべきこと
だい三は――死ぬまで農奴の妻であるということ
しかも このつらい運命《さだめ》は
なべてロシヤの女の上にのしかかったもの
ロシヤの農村《むら》には女がいる
しとやかで きりりとした顔かたち
たおやかで 力づよいものごし
步きぶりも 眼《まな》ざしも 女王のような――
かの女らは行く おなじこの道
人民の 歩くこの道
ああしかし みじめな人の世のけがれも
かの女にはまといつかぬよう 花咲いたよう。
餓えにも 寒さにもたえ
いつも こころひろく 平らかに
わたしは知っている 草かりぶりを
一とふりの鎌に 築く たちまちに草の山!
……
だい一は――農奴の妻となるべきこと
だい二は――農奴の子の母となるべきこと
だい三は――死ぬまで農奴の妻であるということ
しかも このつらい運命《さだめ》は
なべてロシヤの女の上にのしかかったもの
ロシヤの農村《むら》には女がいる
しとやかで きりりとした顔かたち
たおやかで 力づよいものごし
步きぶりも 眼《まな》ざしも 女王のような――
かの女らは行く おなじこの道
人民の 歩くこの道
ああしかし みじめな人の世のけがれも
かの女にはまといつかぬよう 花咲いたよう。
餓えにも 寒さにもたえ
いつも こころひろく 平らかに
わたしは知っている 草かりぶりを
一とふりの鎌に 築く たちまちに草の山!
……
本当の人民解放を願う精神がネクラーソフにこの詩を書かせていると訳者は言います。谷耕平は早稲田大学教授を務めたロシア文学者で、「デカブリストの妻」(ネクラーソフ作・谷耕平訳 新星社 昭和二十二年)を刊行しています。当時書籍の訪問販売をしていた大島静江(博光の妻)がこの本を扱い、博光が手にしたことが谷耕平への執筆依頼につながったと思われます。
*
佐藤さち子の「プロレタリア詩にふれて」が評論の主軸に据えられています。六ページ七千字の力作で、戦前のプロレタリア詩運動に参加した詩人たちの活動にふれながら、民主主義文学運動を担う詩人の課題について論じています。
ある文学講演会で、日本のプロレタリア文学運動は小林多喜二をもって終止符を打ち、その後戦争の進展と共に手を挙げて降参した─ということを話したので、わたしは非常にびっくりしたが、すべての作家、詩人が降服したわけではない。公然と組織を持つことは出來なかったが、個々の作家、詩人たちはおのおのの在るべき場所で抵抗をつづけてきた。戦争に反対する作品の発展はできなかったが、戦争を讃えることを拒否することで抵抗してきた。そのような潜められた力があったからこそ、敗戦後、急激に民主々義文化運動がまきおこされたので、なんにもないところから忽然と、入道雲のようにあらわれたのではない……
機械的に理解された「政治と文学」の問題を、詩人の立場から血肉的なものとして身につけるために、若々しい情熱をもって実践運動に参加した詩人たちもいる。……現在の若い人たちには想像もできないような困難な非合法生活の中で、それら無名の詩人たちは、絶えず詩をかくことをねがいながらかけずにすごした。その中の一人である今野大力が、死に近い床の中で、花についてうたったリリカルなうつくしい詩があった……
*機械的に理解された「政治と文学」の問題を、詩人の立場から血肉的なものとして身につけるために、若々しい情熱をもって実践運動に参加した詩人たちもいる。……現在の若い人たちには想像もできないような困難な非合法生活の中で、それら無名の詩人たちは、絶えず詩をかくことをねがいながらかけずにすごした。その中の一人である今野大力が、死に近い床の中で、花についてうたったリリカルなうつくしい詩があった……
「大鉄の詩人たち」は大阪方面の国鉄で活動している多くの詩人たちについて紹介しています。
況して組織労働者たる我々がうたいあげる詩は昨日までの様に精神の空漠な、或はまた夢の様な世界を追った少女的感傷趣味であるべきでなく、今日から我々労働する者がつくる正しい世界観の世界、我々の暖かい血、あかい血の流れる人間的世界への詩、こうしたものに対するこの汚濁と混乱の泥濘の世の中、悪が栄えて善が害われる愚かな世の中に対する怒りの詩、そうしたものへ逞しい足取を見せているのが大鉄の詩人たちの方向とも言い得るであろう。
*
大島博光は編集に徹して自分の作品を掲載せず、わずかに編集後記で発言しています。
★われわれ人民の歌ごえも、もはや、苦しい、暗い生活をつぶやくように歌ったり、みじめさのなかにアグラをかいて歌ったりしてはいられない。この苦しい生活、みじめさを、もっと批会的な場面でとらえ、あるいは闘争のなかから歌いださねばならぬ。支配階級による大衆收奪は、社会のいたるところに非人間的な悲劇的な場面を、かず限りなく、つくりだしている。それらの場面は、詩人のヒュマニズムをつよくわき立たせずにはおかない。われわれはこのような場面をもっともっととらえ、歌わねばならね。これこそ、民主民族戦線の時代における、詩人の役割りである。(O)
それでは『歌ごえ』は五号以降は発行されたのでしょうか?
(つづく)
【訂正】
『狼煙』九十一号に掲載された「『歌ごえ』について(三)」 で作品コンクールの次の四作品は『歌ごえ』四号掲載でした。さとう・しん「高架作業」、小熊忠二「欠伸と闘う」、ふびと・かめだ「その檻をやぶれ」、宮下今朝友「酔いなきのろれつ」。
また『歌ごえ』三号の作品コンクールには次の四作品が抜けていましたので、追加して訂正します。ひでなお・たかだ「手のひら」、及川知道「誰がために」、野上博「きずあと」、伊藤一「唯生きてゆくために」
二〇二〇年五月
(長野詩人会議『狼煙』92号)
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