一月八日(日)
病室へ伺った時は、二時をまわって大学ラグビーの決勝戦がもう始まっている時間でした。
眠っていらっしゃるので、テレビをつけてご覧になりやすい位置に向け「ラグビーですよ」と声をおかけすると、目を開かれ、すぐに見始められました。半ばうとうとされながらご覧になっていらっしゃいましたが、早稲田が三十点をとったところで「もう大丈夫だ」とつぶやかれ、試合最後のあたりは眠られていました。
試合が終わってから「優勝おめでとうございます」と、また声をおかけしますと
「何か美味いもの食べに行こう!」
(何がいいですか?)
「そうねぇ」
(お肉?)
「それもいいねぇ。どこがいい? 考えておいて」
「スープか、何か甘いものは無いの?」
(連休なので明日ご家族が美味しいものを持ってみえると思います)
「今無いの?」
今日は鼻に酸素のチューブをつけられ、腕に点滴をされています。たんがからむせいか「声が出ない」とおっしゃっていましたが、話されるうち声もはっきりし、少しむくんだようにみえたお顔も、血色が良く生気があるようにみえ、張っていた脚のむくみもひいて、あぁ、よかったと思ったほどでした。
以前の入院の時も看て下さっていた男性ナースが回診にみえ「五日に発熱...八度五分くらい...だったので、点滴になってしまいましたが、今日は熱も下がり、たんもあまり多くないよう。今日は食事は摂れないですが、だんだん、またもとに戻るでしょう」と言われました。もう少ししたら点滴がはずれ、また美味しいものを召し上がれるようになるのだと思いました。アラゴン協会のアルベルティーニ氏が送って来たフランスやスペインを巡回するというエルザ・トリオレ文学展のパンフレットをお見せすると「これは何?」と言われましたが、そうこうしているうちに寝入ってしまわれました。ふだんと変わらない呼吸で、平静にみえました。窓の外のすっかり葉が落ちた欅の高い木立には、「いつも見ているよ」と言われる鳥の巣が黒いシルエットとなっています。病室の中は温かく、頭床台に飾られた黄色いチューリップが茎や葉をおおらかに伸ばし、枕元ではピカソの鳩が小枝をくわえ、羽ばたいています。
ずっと眠っていらっしゃるので、今日は夕食が出ないのなら、このままお起こししないでおいとましようと、窓のカーテンをひき、ベッドまわりを整え病室を出ました。部屋の敷居を踏み出したところで、足が止まり、ふと引き返しました。
しばらく足許の丸い椅子に座ってご様子をみていましたが、変わらずよく眠っていらっしゃいました。落ち着いていらっしゃるし、早稲田が勝ってご機嫌も良いし、失礼しようと立ち上がり、タオルを目の上にのせられているご様子を見、初めて下連雀へお伺いした日の、目にタオルをのせて休まれていらした、書斎のあるほの暗い寝室での姿と重なりました。あの時と同じご様子だと思いながら、大きな不安の中にも小さな安心を抱き、すでに日が落ちた冬の道へと病院を後にしました。
(尾池和子「大島博光語録Ⅱ」)
病室へ伺った時は、二時をまわって大学ラグビーの決勝戦がもう始まっている時間でした。
眠っていらっしゃるので、テレビをつけてご覧になりやすい位置に向け「ラグビーですよ」と声をおかけすると、目を開かれ、すぐに見始められました。半ばうとうとされながらご覧になっていらっしゃいましたが、早稲田が三十点をとったところで「もう大丈夫だ」とつぶやかれ、試合最後のあたりは眠られていました。
試合が終わってから「優勝おめでとうございます」と、また声をおかけしますと
「何か美味いもの食べに行こう!」
(何がいいですか?)
「そうねぇ」
(お肉?)
「それもいいねぇ。どこがいい? 考えておいて」
「スープか、何か甘いものは無いの?」
(連休なので明日ご家族が美味しいものを持ってみえると思います)
「今無いの?」
今日は鼻に酸素のチューブをつけられ、腕に点滴をされています。たんがからむせいか「声が出ない」とおっしゃっていましたが、話されるうち声もはっきりし、少しむくんだようにみえたお顔も、血色が良く生気があるようにみえ、張っていた脚のむくみもひいて、あぁ、よかったと思ったほどでした。
以前の入院の時も看て下さっていた男性ナースが回診にみえ「五日に発熱...八度五分くらい...だったので、点滴になってしまいましたが、今日は熱も下がり、たんもあまり多くないよう。今日は食事は摂れないですが、だんだん、またもとに戻るでしょう」と言われました。もう少ししたら点滴がはずれ、また美味しいものを召し上がれるようになるのだと思いました。アラゴン協会のアルベルティーニ氏が送って来たフランスやスペインを巡回するというエルザ・トリオレ文学展のパンフレットをお見せすると「これは何?」と言われましたが、そうこうしているうちに寝入ってしまわれました。ふだんと変わらない呼吸で、平静にみえました。窓の外のすっかり葉が落ちた欅の高い木立には、「いつも見ているよ」と言われる鳥の巣が黒いシルエットとなっています。病室の中は温かく、頭床台に飾られた黄色いチューリップが茎や葉をおおらかに伸ばし、枕元ではピカソの鳩が小枝をくわえ、羽ばたいています。
ずっと眠っていらっしゃるので、今日は夕食が出ないのなら、このままお起こししないでおいとましようと、窓のカーテンをひき、ベッドまわりを整え病室を出ました。部屋の敷居を踏み出したところで、足が止まり、ふと引き返しました。
しばらく足許の丸い椅子に座ってご様子をみていましたが、変わらずよく眠っていらっしゃいました。落ち着いていらっしゃるし、早稲田が勝ってご機嫌も良いし、失礼しようと立ち上がり、タオルを目の上にのせられているご様子を見、初めて下連雀へお伺いした日の、目にタオルをのせて休まれていらした、書斎のあるほの暗い寝室での姿と重なりました。あの時と同じご様子だと思いながら、大きな不安の中にも小さな安心を抱き、すでに日が落ちた冬の道へと病院を後にしました。
(尾池和子「大島博光語録Ⅱ」)
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