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妻女山から倉科坂林道を行く

ここでは、「妻女山から倉科坂林道を行く」 に関する記事を紹介しています。
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8年前、小林さん、雨宮さんと来た時は桜の季節でした。<妻女山の桜
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妻女山展望台
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激突 川中島

永禄4(1561)年9月10日、八幡原を中心とする川中島平の広い範囲で、武田・上杉両軍による4回目の戦が行われた。上杉軍は8月16日に13,000の本隊を率いて海津城を眼下に見ながらここ妻女山に着陣した。一方、海津城を守る高坂(香坂)昌信(春日虎綱)からの援軍要請をうけた武田軍は20,000の兵を率いて8月29日に海津城に入った。両軍とも過去3度の戦を超える最大の兵を動員し決戦の準備に臨んだ。9月9日、武田軍は山本勘助(菅助)の進言により兵を二手に分け、主力である12,000の兵を夜中に妻女山へ向かわせ、残り8,000の武田軍の本隊が八幡原で迎え撃つ作戦をとった。いわゆる「きつつき戦法」と呼ばれるものである。これを察知した上杉軍は夜中に山を下り、千曲川の雨宮の渡しを渡って川中島平に出て夜明けを待った。この夜は霧が深く、夜明けとともに霧がはれた瞬間、両軍がすぐ間近に遭遇することになった。上杉軍の予期せぬ「車がかりの戦法」に劣勢となった武田軍は苦戦し、信玄の弟信繁角豊後守(両角虎光)、山本勘助らが戦死した。その後、妻女山からの別働隊の参戦によって形勢は逆転し、上杉軍も多くの戦死者を出し退却した。対決を避けてきた信玄がこの戦で多くの犠牲をはらいながらも上杉軍を押し返したことで川中島は武田の支配下となり、上杉を頼った村上義清、高梨政頼は信濃川中島への復帰の願いを絶たれることとなった。

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左の倉科坂林道は清野地区の南に連なる鞍骨山などの山塊の中腹を東進し、象山にいたる道で、前回は車で通りました。
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右の道を上るとあんずの里ハイキングコースで、尾根道を伝って鞍骨山(くらほねやま)に行けるようです。
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レンゲツツジやヤマブキをはじめいろいろ咲いています。
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中央の山が鞍骨山で、ここから登るのは相当たいへんそうです。
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清野から見る山塊。右端が妻女山から林道への入り口、左が天城(てしろ)山で、ここにも城があった。
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東方向で一番高いのが鞍骨山で、海津城(松代城)を眼下に見下ろす山城がありました。

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