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大島博光年譜⑦(1953年〜1957年)

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大島博光年譜⑦(一九五三〜一九五七年)

一九五三年(昭和二十八年)四十三歳
 二月、「二月の風」(詩)を『日本抵抗詩集』(野間宏編 三一書房)に発表。四月、「また五月がやってくる」(詩)を「詩学」に発表。七月、「浅間よ いまこそ」(詩)を「呼子」(浅間山演習地問題特集・小熊忠二)に発表。十月、「電流よりも強く」(詩)を「詩学」に、「内灘のうた」(詩)を「角笛」に発表。「国民詩について」を「エスポワール」(総合文化誌・広島)に発表。十一月、アラゴン「エルザへのほめうた」、「アラゴン・ノート」を「ポエトロア」に、『日本ヒューマニズム詩集 第二集』(三一書房)に「詩の魅力」(エッセイ)、「電流よりも強く(ローゼンバーク夫妻へ)」を収録。

一九五四年(昭和二十九年)四十四歳
一月、「春になると」(詩)を「詩学」に発表。三月、「あなたがた松川のひとたちを」(詩)、エリュアール「ヨシフ・スターリン」を「角笛」に、「ひろやかな そよ風」(詩)を『スターリン讃歌』(理論社)に発表。六月、「きみたちがあかしだてたものを」(詩)を「アカハタ」に発表。八月、ダヴィド・シュイネール「そうして光がうたった」を「角笛」に発表。同月より「新女性」の「読者文芸」欄にて投稿詩の選評にあたる。(五六年五月まで)十月、「憤ろしい春」(詩)を「現代詩」に、「アラゴンの《ジェリコとドラクロア》」を「美術批評」に発表。

一九五五年(昭和三十年)四十五歳
一月、パブロ・ネルーダ「君たちはわたしに」を「新日本文学」に、フランソワ・ケレル「祖国」を「角笛」に発表。四月、『年刊現代詩集2』(宝文館)に「いきどおろしい春」、「もはや 杞憂ではない」が収録される。六月、「春について」(詩)を「ポエトロア」に、ケレル「幸福について」を「詩学」に発表。八月、『現代世界詩選』(三笠書房)にアポリネール(三篇)、ルヴェルディ「七篇」、エリュアール(十一篇)、アラゴン(三篇)を発表。九月、「富士のうた」(詩)を「アカハタ」に、「ふるさとへ行く」(随筆)を「信濃毎日新聞」に、「春がきたら」(解説)を『中学生のための現代詩鑑賞・続』(現代詩人会編・宝文館)に発表。アラゴン「最後の審判はないだろう」を「現代詩」に、「わたしのうちがわにもそとがわにも」(詩)を「角笛」に発表。

一九五六年(昭和三十一年)四十六歳
一月、「春としあわせについて」(詩)を「新日本文学」に、「千曲川へおくる歌」(詩)を「信濃毎日新聞」に発表。発表。二月、「おまえの眼は」(詩)を「現代詩」に発表。三月、「わたしの眼は」(詩)、ユージェーヌ・ギュヴィック「詩人は」を「角笛」に発表。四月、「詩における民族的伝統をもとめて」を「樹木と果実」に発表。五月、ギュヴィック「手紙抄」を「詩学」に、「フランスにおける国民詩の現状」を「樹木と果実」に、「風景画の復活―フランスにおける絵画論争―」を「美術批評」に発表。七月、「フージュロン批判とその結末―フランスにおける絵画論争(2)―」を「美術批評」に発表。八月、「死とたたかう生と愛の歌―アラゴンの『眼と記憶』について」を「ポエトロア」に、「主体と思想性・党派性」(作品月評)を「現代詩」に発表。九月、「展望をもとう」(作品月評)を「現代詩」に発表。同月、『エリュアール詩選』(緑書房)を刊行。

一九五七年(昭和三十二年)四十七歳
二月、ギュヴィック「ずっとのちのひとびとに」を「角笛」に、アンドラス・ミハーイ「偉大なバルトークの声」を「美術批評」に発表。四月、「かれはぼろのなかで」(詩)を「詩学」に発表。五月、「子どもたちと灰と」(詩)を「アカハタ」に発表。六月、「エリュアールの愛について」、アイ・チン「わたしのおやじ」を「新領土」(復刊 奈切哲夫)に、「火は燃えていた」、「もしもわたしが詩人なら」(詩)を「樹木と果実」に発表。八月、「わたしのそねっと」を「新領土」に、「ひろしまのおとめたちの歌」(詩)を「アカハタ」に発表。十九日、詩人の島田利夫を訪ね群馬県前橋に行くも、ちょうどその日島田は谷川岳にて墜落死に遭い他界した。三十一日付の利夫の兄誠三宛書簡が残っている。
「なんという悲しいお手紙をいただいたものでしょう。おどろきと痛恨と。わたしはあの翌日、正午まで、利夫君の元気な顔が見られはしないかと待っていました。正午になっても見えないので、何か忙しいのだらうから、この次の機会に、と思って、午後の汽車で帰ってきました。そのとき、利夫君はもうわれわれの世界から去っていたとは!/ひまわりのような若ものに 忽ち/経帷子をきせる悲しみより 深いものは何もない/わたしは利夫君と久しぶりに詩の話などできると期待しながら前橋に行ったのに、もうその夢はなくなってしまった。しかし、思えば、たとえ偶然とはいえ、利夫君の死の時刻に、わたしが彼に会いたいとねがっていたとは、なんということでしょう。―利夫君にもう一ど詩を書いてもらいたい、あの利根川のような歌をかいてほしいというねがいも、消えてしまいました。/ほんとうに、春秋に富んだすぐれた同志を失ってしまいました。あなたの悲しみはまた いっそう深いでしょうが、もう 彼の霊のためにも、わたしたちは前進するよりほかはない、そういう気もちでいっぱいです。」
十月、「新しい詩の領域」(エッセイ)を「ひろば」(全国銀行従業員組合連合会)に発表。
 (重田暁輝編集・大島朋光監修 以下次号)

(『狼煙』87号 2019年1月)
1953
こばやし・つねお詩集『夜の貨物列車』出版記念会にて
前列中央に大島博光と壺井繁治、その左がこばやし・つねおか?出版された1953年10月近辺の撮影とみられる。



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