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詩誌『歌ごえ』について(一)

ここでは、「詩誌『歌ごえ』について(一)」 に関する記事を紹介しています。
 詩誌『歌ごえ』について(一)         大島朋光

 『歌ごえ』は大島博光が戦後の昭和二十三年三月に創刊した詩誌で、四号(昭和二十三年七月)まで発行されています。戦争中の軍国主義による抑圧から解放され、新日本文学会の創立など新しい民主的文学運動の機運が高まる中で発刊されたものです。
 創刊号の巻頭詩は大島博光の「新しい朝の歌」です。

いまこそ おれたちが
おれたち自身の声で言葉でくちびるで
思いきり 歌いまくるときがきた
おれたち自身の愛と憎しみを 怒りと涙を
のどいっぱい 歌いかわすときがきた
ひらひらと旗のひるがえるところ
かなづちとハンマーの鳴るところ
くわと鎌の光るところ
飢えた子供のさまようところ
歌ごえよ 交響楽のようにわきあがれ
おれたちの詩は歌ごえは
もう どれいの歌やねむりの歌ではなく
もう まぼろしに酔ったうまずめの歌ではなく
ひとびとの耳から耳へ
人間の赤い血のひびきをつたえ
ひとびとの胸から胸へ
立ちあがった人間の熱いいぶきを吹きいれ
しあわせを生む たたかいの歌となれ
ふるい立たせる朝の歌となれ!

 編集後記では次のように呼びかけています

★いまや、われわれのところにも民主人民革命がすすめられている。それは、政治や経済や社会の面において進められているばかりでなく、ひろく文化革命として、文化の領域においても進められている。詩もまた、このような文化革命のひとつの分野である。
★いままで、詩人は時代の先頭に立ち、文化の先がけをする、といわれてきた。しかし、こんにち、われわれの詩人の多くは、この詩人の光栄を忘れはてている。革命にいちばんおくれているのは、ほかならね詩人だといわねばならぬ。
★いまこそ、傾いた象牙の塔から街に出て、生きた人間の歌ごえをうたうべきときだ。人間の深い自己解放という、詩本来の使命を、すべてのひとびととともに、すべてのひとびとのなかで、はたすべきときだ。
★新しい歌ごえは、しかし、職場に、村に、町に、高らかにわきあがりつつある。新しい詩と文化は、これら人民のなかの詩人たちにになわれる。これらの詩人たちこそ、民主人民革命のにない手であり、かくてまた文化革命の主体だからである。
★本誌発刊の意図も、このような真の民主主義的な詩文化の高揚に、微力をつくしたいというところにある。ひろく、進歩的な詩人の協力と支持をおねがいする。とくに、職場や農村にいる詩人たちの積極的な参加を希望する。(O)

 創刊号は壺井繁治と平林敏彦の重厚な主張が柱になっています。壺井繁治「詩の前進のために」では、「……民主主義的詩人は現実の変革の過程に鳴りひびいている律動をとらえてそれを詩の韻律としなければならない。それは現実社会の中で崩壊して行くものの響きと建設されて行くもの、新らしく生れ出るものの響きとを正しくとらえ、それを詩の構造の中に織りこんで行くことを意味する。そのような詩として、われわれは大きな構想と組立てをもった叙事詩の出現を期待する。……それが現われるまでには、民主主義的詩人は、現実生活の上でも詩の技術的錬磨の点からも、非常に苦しいたたかいをしなければならぬであろう。一行一行がすぐれた抒情であると同時に、全体が壮大な構想によって組み立てられたような叙事詩、それを私は期待するし、私自身としてもそういう詩を書きたいと思っている」と延べ、平林敏彦「転形期の詩人」では、
「……このことをきっかけとして人民大衆のあらゆる層の中から従来の詩とはかけ離れて幅広いうたごえが湧き起こらねばならなかった。いわば「詩でない詩」「詩人でない詩人」たちが現代詩そのものの無限の発展を推し進める機運に到達したのである。……民主主義陣営にある詩人はこぞって人民大衆への全人間的な接触と詩壇ジャーナリズムへのプロテストを繰り返さなければならない。……生活の変革を基盤とした新しい精神の芽生えを、文学的に成長せしめることによって詩人はそれらの新しい人間内容を自己のものとすることができる。現代詩の革命的モメントは民主主義革命を実質的に推し進めつつあるこれらの人間像の内側にあるのだ」と論じています。

 詩作品では、岡本潤「舊友」、高橋玄一郎「方向性」、高田新「一つの燈火は」、穂刈栄一「警察署長殿」、岡村民「子守唄」、佐藤さち子「牛車にゆられて」、岡田芳彦「おまえは」、長谷川尚「米をとられた女」、武内利栄「山羊」、藤田三郎「愛」、近藤東「ヨーカイ」を掲載、社会を批判的に歌った詩が中心となっています。

 方向性 
    ──擬古調──
                  高橋玄一郎
自由の旗が風に吹かれている
雨に叩かれたカンバスからピカソが追い出された。

風をぬいて疾せ去る美術家の頭から
芸術の党派性が汗をかきながら逃げ出して行く。

迷いこんで行った中世紀の森林は
すっぽりと、神学やカラリストの幕をかぶっている。

聖歌隊のコオラスがネックレエスのかげをつづり
輪ぬけをする猿の尻尾で知性の鈴がひびく

階級を筒抜けして、くぐり抜ける個性
栄養失調に漂白された白パンの破片

昨日ばっかりが、ひつっこくひらびついている声帯に
かすれて皺だらけのゲエテがバトンをふりたくっている

 鈴木茂正「国鉄にあがる歌ごえ」──二つの作品からの考察──では、「国鉄詩人」の発展と、そこから生まれた二人の新人の作品、星隆平「炭殻置き場」と島田紫郎「雪ばれ」を紹介しています。 大島博光はランボオ「長詩 鍛冶屋」の翻訳と「ランボオについてのノート(一)」を書いています。前年に『ランボオ詩集』(蒼樹社)を刊行するなど、ランボオに精力的に取り組んでいたことを反映しています。
 上田進「ソヴェートの詩」は革命前後から社会主義建設期までのソビエトの詩人たちについての論評(六頁)で、創刊号から三号まで合わせると十八頁に及ぶ労作。上田進は戦前、プロレタリア作家同盟で活躍し、精力的にソビエト文学を翻訳・紹介した詩人・ロシア文学者でした。昭和二十二年二月に三十九歳で亡くなったので、これは遺稿というべき貴重な著作です。(つづく)

『狼煙』89号 2019年8月)

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