大島博光年譜⑥(一九四八‐一九五二)
一九四八年(昭和二十三年)三十八歳
三月、詩誌「歌ごえ」(大島博光編集発行・長野 四号まで)を創刊。創刊号に「新しい朝の歌」(詩)、ランボー「鍛冶屋」、「ランボオについてのノート(一)」を発表。創刊号の他の寄稿者に壷井繁治(評論)、平林敏彦(評論)、岡本潤(詩)、高橋玄一郎(詩)、穂苅栄一(詩)、岡村民(詩)、藤田三郎(詩)、近藤東(詩)等がおり、後の号には金子光晴、大江満雄、小野十三郎、田中敏子等も寄稿した。この「歌ごえ」について後年大島と交流のあった詩人青山伸が次のように書いている。
「二十三年一月、大島博光編集による詩誌「歌ごえ」が長野市から発行された。これには社会主義或は民主主義の詩人らが集り、自由、平和、独立の名のもとに、戦争中、うたう事は勿論、沈黙さえもゆるされなかつた、弾圧された詩人たちが、高らかにうたい始めた。/この「歌ごえ」と大島博光の人間的魅力が相ともなつて、この北信地方の労組や地域サークルの詩人たちへの刺戟となり、大島を中心とした若い詩の書き手が力強く育つていつた、記念すべき詩誌とも言える。/私の手もとには「歌ごえ」の三号一冊のみ残つているが、大島博光、浅井十三郎、壷井繁治、岡村民、植村諦、サカイトクゾーら現在も活躍している戦前からの詩人がいる。/ちようどこの頃、新日本文学会長野支部結成の動きがあり、その運動のために東京から来た壷井繁治や、長野にいた大島博光などを囲んで、座談会を開いたのに刺激されて「高原文学」を発行した。詩人からは、穂苅栄一、立岡宏夫、井上志朗が編集同人となつて参加した。(「戦後・長野県詩人の活動 北信地方」『長野県年刊詩集』一九六〇年)
四月、「人間変革について」(エッセイ)、ランボー「ふたたび賑わいに返えるパリー」を「歌ごえ」に発表。この号にサカイ・トクゾウ(評論)、奈切哲夫(詩)、鈴木初江(詩)、北條さなえ(詩)、関口政男(詩)等の寄稿がある。同月、「雪の野」(詩)を「勤労者文学」(徳永直編集、壷井繁治発行)に発表。五月、「緑の泉」(詩)「ルネサンス」(長田恒雄編集代表)に発表。六月、「ランボオの手紙にふれて」を「詩学」に、「リルケについて」を「詩神」(大島直勝・齋藤和雄 静岡)に発表。九月、「絵はがき」(詩)を「詩歌殿」(富澤赤黄男編集 水谷砕壺発行の詩・短歌・俳句の総合誌 大阪)に発表。十月、「闘いの日に」(詩)を「勤労者文学」に発表。十一月、次男秋光出生。
一九四九年(昭和二十四年)三十九歳
九月、「暴力と人間」(詩)を「詩学」に発表。十月、『ランボオ詩集』(蒼樹社)を刊行。
一九五〇年(昭和二十五年)四十歳
一月、「人間たちの歌を」(詩)を「詩学」に発表。二月、「わたしたちは待っている」(詩)を「詩学」に発表。同月、東京都三鷹市下連雀に居を構える。四月、「いまは叫ぶことが大事だ」(詩)を「詩学」に発表。五月、エリュアール「脅かされる勝利」を「詩学」に、「絵画と写真 レアリスムをめぐってのルイ・アラゴンの見解」を美術雑誌「BBBB」に発表。九月、大島を主宰とする詩誌「角笛」を創刊する。創刊号に「喪の海の歌」(詩)、「アラゴンの『詩法』にふれて」を発表。他の寄稿者に高橋玄一郎、北條さなえ、
曽根崎保太郎、谷川雁、田村正也等がいた。同月、「美しき若者への挽歌─同志 わが義弟 鈴木久男の霊へ」(詩)を「ピオニール」(東大音感合唱研究会機関誌)に発表。なお鈴木久男は大島静江の実の弟にあたり、同年七月二十六日に伊豆の海水浴場で遊泳中に事故に遭い死亡。当時東大の医学部生だった。九月、「藤村の「農夫」」を「新日本詩人」(遠地輝武編集発行)に発表。十月、「ヴァレリイとリルケ」を「詩学」に、「〈わだつみの声〉への挽歌」を「アカハタ」に発表。十二月、「奈良の街で」(詩)を「詩学」に発表。
一九五一年(昭和二十六年)四十一歳
一月、「草むらの中で」(詩)、「アラゴンの三つの詩について」を「新日本詩人」に発表。八月、アラゴン「むごたらしく殺された少女について」を「新日本歌人」に発表。
一九五二年(昭和二十七年)四十二歳
二月、「灯の歌」(詩)、「詩に翼を与えよう」(エッセイ)、エリュアール「メッセージ」、を「角笛」(復刊 一九六二年二三号まで)に発表。同人は田村正也、小熊忠二、斉藤林太郎、末次正寛、丹野茂。三月、「夜の街で」(詩)、エリュアール「わたしの知っている詩人たち」、「ぎりぎりのところ」を「角笛」に発表。五月、「硫黄島」(詩)、ラファエル・アルベルティ「スペインの岸べに向つて」を「詩と詩人」に発表。同月、中野の織本を病院にて肺結核のため胸郭成形手術を受け、その後清瀬のサナトリウムで療養生活送る。六月、「詩人の栄光 ウラジミル・マヤコフスキーについて」を「角笛」に発表。九月、長女桃子出生。十二月、「武蔵野だより」(エッセイ)を「角笛」に発表。(重田暁輝編集・大島朋光監修 以下次号)
(『狼煙』八十六号 二〇一八年八月)
一九四八年(昭和二十三年)三十八歳
三月、詩誌「歌ごえ」(大島博光編集発行・長野 四号まで)を創刊。創刊号に「新しい朝の歌」(詩)、ランボー「鍛冶屋」、「ランボオについてのノート(一)」を発表。創刊号の他の寄稿者に壷井繁治(評論)、平林敏彦(評論)、岡本潤(詩)、高橋玄一郎(詩)、穂苅栄一(詩)、岡村民(詩)、藤田三郎(詩)、近藤東(詩)等がおり、後の号には金子光晴、大江満雄、小野十三郎、田中敏子等も寄稿した。この「歌ごえ」について後年大島と交流のあった詩人青山伸が次のように書いている。
「二十三年一月、大島博光編集による詩誌「歌ごえ」が長野市から発行された。これには社会主義或は民主主義の詩人らが集り、自由、平和、独立の名のもとに、戦争中、うたう事は勿論、沈黙さえもゆるされなかつた、弾圧された詩人たちが、高らかにうたい始めた。/この「歌ごえ」と大島博光の人間的魅力が相ともなつて、この北信地方の労組や地域サークルの詩人たちへの刺戟となり、大島を中心とした若い詩の書き手が力強く育つていつた、記念すべき詩誌とも言える。/私の手もとには「歌ごえ」の三号一冊のみ残つているが、大島博光、浅井十三郎、壷井繁治、岡村民、植村諦、サカイトクゾーら現在も活躍している戦前からの詩人がいる。/ちようどこの頃、新日本文学会長野支部結成の動きがあり、その運動のために東京から来た壷井繁治や、長野にいた大島博光などを囲んで、座談会を開いたのに刺激されて「高原文学」を発行した。詩人からは、穂苅栄一、立岡宏夫、井上志朗が編集同人となつて参加した。(「戦後・長野県詩人の活動 北信地方」『長野県年刊詩集』一九六〇年)
四月、「人間変革について」(エッセイ)、ランボー「ふたたび賑わいに返えるパリー」を「歌ごえ」に発表。この号にサカイ・トクゾウ(評論)、奈切哲夫(詩)、鈴木初江(詩)、北條さなえ(詩)、関口政男(詩)等の寄稿がある。同月、「雪の野」(詩)を「勤労者文学」(徳永直編集、壷井繁治発行)に発表。五月、「緑の泉」(詩)「ルネサンス」(長田恒雄編集代表)に発表。六月、「ランボオの手紙にふれて」を「詩学」に、「リルケについて」を「詩神」(大島直勝・齋藤和雄 静岡)に発表。九月、「絵はがき」(詩)を「詩歌殿」(富澤赤黄男編集 水谷砕壺発行の詩・短歌・俳句の総合誌 大阪)に発表。十月、「闘いの日に」(詩)を「勤労者文学」に発表。十一月、次男秋光出生。
一九四九年(昭和二十四年)三十九歳
九月、「暴力と人間」(詩)を「詩学」に発表。十月、『ランボオ詩集』(蒼樹社)を刊行。
一九五〇年(昭和二十五年)四十歳
一月、「人間たちの歌を」(詩)を「詩学」に発表。二月、「わたしたちは待っている」(詩)を「詩学」に発表。同月、東京都三鷹市下連雀に居を構える。四月、「いまは叫ぶことが大事だ」(詩)を「詩学」に発表。五月、エリュアール「脅かされる勝利」を「詩学」に、「絵画と写真 レアリスムをめぐってのルイ・アラゴンの見解」を美術雑誌「BBBB」に発表。九月、大島を主宰とする詩誌「角笛」を創刊する。創刊号に「喪の海の歌」(詩)、「アラゴンの『詩法』にふれて」を発表。他の寄稿者に高橋玄一郎、北條さなえ、
曽根崎保太郎、谷川雁、田村正也等がいた。同月、「美しき若者への挽歌─同志 わが義弟 鈴木久男の霊へ」(詩)を「ピオニール」(東大音感合唱研究会機関誌)に発表。なお鈴木久男は大島静江の実の弟にあたり、同年七月二十六日に伊豆の海水浴場で遊泳中に事故に遭い死亡。当時東大の医学部生だった。九月、「藤村の「農夫」」を「新日本詩人」(遠地輝武編集発行)に発表。十月、「ヴァレリイとリルケ」を「詩学」に、「〈わだつみの声〉への挽歌」を「アカハタ」に発表。十二月、「奈良の街で」(詩)を「詩学」に発表。
一九五一年(昭和二十六年)四十一歳
一月、「草むらの中で」(詩)、「アラゴンの三つの詩について」を「新日本詩人」に発表。八月、アラゴン「むごたらしく殺された少女について」を「新日本歌人」に発表。
一九五二年(昭和二十七年)四十二歳
二月、「灯の歌」(詩)、「詩に翼を与えよう」(エッセイ)、エリュアール「メッセージ」、を「角笛」(復刊 一九六二年二三号まで)に発表。同人は田村正也、小熊忠二、斉藤林太郎、末次正寛、丹野茂。三月、「夜の街で」(詩)、エリュアール「わたしの知っている詩人たち」、「ぎりぎりのところ」を「角笛」に発表。五月、「硫黄島」(詩)、ラファエル・アルベルティ「スペインの岸べに向つて」を「詩と詩人」に発表。同月、中野の織本を病院にて肺結核のため胸郭成形手術を受け、その後清瀬のサナトリウムで療養生活送る。六月、「詩人の栄光 ウラジミル・マヤコフスキーについて」を「角笛」に発表。九月、長女桃子出生。十二月、「武蔵野だより」(エッセイ)を「角笛」に発表。(重田暁輝編集・大島朋光監修 以下次号)
(『狼煙』八十六号 二〇一八年八月)
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