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岡本潤「封建的抒情の駆逐」

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封建的抒情の駆逐
                     岡本潤

 戦争は人間性を抹殺した。人間ということばさえが禁圧された。日本人は人間でなくて、臣民でなければならなかった。日本は神国で、臣民は神の子で、神の子は人間性などみとめられず、牛馬のように戦争や徴用にかりたてられた。戦争にかりたてられた神の子らは、中国や南方で、殺人、放火、強盗をはたらいた。人間性を剥奪されていた神の子らは、相手の人間性をみとめることができなかった。国内で徴用されていた神の子らは、軍服に監視されながら、がむしゃらに殺人機械を製造させられた。一言の異議をさしはさむことも許されなかった。すこしでも不平をいえば非国民であった。日本国民は人間であってはならず、すべて忠良なる臣民でなければならなかった。
 そういう日本の戦争を、日本の詩人は「聖戦」としてうたった。自発的にせよ他発的にせよ、とにかくうたった。「草莽」という奇怪なことばで自分と国民とをいいあらわした詩人や文学者もいた。そういう奇怪なことばをつかうことが日本の浪漫主義であった。詩人が人間性抹殺の一役をかった、あるいはかわされたということ、詩人にとってこれ以上の罪はなく、これ以上の恥辱もない。
 詩人がなぜ、なんの抵抗もしめさずに、そういう役をかってでたか。戦争前まではヒューマニストとみなされていた詩人までが、人間性抹殺の戦争を「聖戦」とうたったという事実を考えるとき、日本の詩のなかにふかくしみこんでいる封建性、抒情の天皇制におもいいたらずにはいられない。

 ヒューマニズムは、周知のごとく、近代社会の成立期における近代思想の先鞭であり、中世の封建的抑圧にたいする人間性の尊重、神権にたいする人権の確立、個性解放の思想である。近代社会の生んだ近代詩は、当然、そういう歴史的意議をもつヒューマニズムを内包しているはずだ。ところが日本のばあい、明治維新革命の中途ハンパのために根をのこした封建制は、明治以後に発達した日本の近代文学思想の上に封建的残存物の影響をいつまでもおしつけずにはおかなかった。詩においては、新体詩、自由詩をつうじて、封建的抒情がぬぐいさることのできない浸透物としてのこっている。そのためにヒューマニストといわれたが詩人までが、宣戦のミコトノリをきいてカンプンコウキするという事態が生じたのだ。
 日本の詩人がふたたびああいう醜態をくりかえさないためには、われわれのなかにまだ残っている封建的抒情を駆逐することだ。正しい意議でのヒューマニズムをしっかり把握することだ。そしてあの最大の恥辱をぬぐうためにも、風説におびえず、日本人民とともにあくまでも平和をまもることだ。(一九四八、四、一○)
『歌ごえ』3号 アンケート 詩とヒュマニズム 1948年6月号)

女神


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とくに戦後の74年の人生かけて‼
2020/01/30(木) 23:05 | URL | 小嶋昌夫 #-[ 編集]
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