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新島繁「豫言者の任務」

ここでは、「新島繁「豫言者の任務」」 に関する記事を紹介しています。
豫言者の任務
                     新島繁

 野間宏の小説「暗い繪」で一層ポピュラーになった観のあるピエテル・ブリューゲルと同じくオランダの画家で、而も彼よりは少し先輩にあたるヒエロニムス・ボッシュの絵に「十字架を負う基督」というのがある。これは平凡社版「世界美術全集」の第十八巻に載っているので、それを持っている人は今直ぐにでも開いて見ていただくとよい。
 この絵について嘗つて私はこんな風に書いたことがある、──「それは十字架を負うてゴルゴタの丘へ向う彼と、彼を取り巻いて蠢めいている群集とを描いたものであるが、その群集たるや、正に文字通りに百鬼夜行の感を與える醜怪な面構えの者共ばかりで、謂わば、あらん限りの「獣性」を現わしているのである。そこで、手巾を持つヴェロニカと、イエス彼自身とにだけ現われている「人間性」が、對照の妙によって、いじらしく、氣高く、また麗しいものに感じられるのである。若しもこの絵を、このように「人格の尊厳」を主張する立場から描かれた諷刺画と解して誤りないものならば、その限りでこれは仲々興味深い作品である。……」と。(拙著「社會運動思想史」新版五五頁)
 私は「ヒューマニズム」を消極的には人権の擁護、積極的には人間的品位の確立にあるものと解する。そして現に我々の当面しているその現代的課題を要約すれば「人民解放」の一語に尽きるが、前記の如き基本的な「ヒューマニズム」の特質はちょうど大樹の年輪のように、長い人類史のなかに、血の滲む苦闘の跡として刻まれている。そこで、古典的古代や封建制度の歴史の中にも、屡々私共の共感を誘うヒューニスチックな伝説や物語が見出されるわけである。イエスという伝説的人物の物語に取材したボッシュの右の絵なども、その中にそうした基本的な年輪的なヒューマニズムの要素が色濃く含まれているので、興味が深いのだと思われる。
 だが、「ヒューマニズム」は単に人の良い、泣きべその、甘ったれた気持とは違う。むしろそれは、最も烈しい戦いの精神である。エレミヤその他旧約の予言者たちの言葉には、屡々、彼等の発言が封ぜられ、圧殺される場合には「石なを叫ぶべし」とあるが、まさにそれほどのやみ難い力をもって、正義のため、社會公共のために戦う精神こそは、本当のヒューマニズムだと思う。そして、そこにこそ、本当の詩があり本当の詩人の面目があると思う。その意味で、今なお詩人は予言者の任務を帯びているといってよい。
 ところで、今私共はそういう詩人をもっているか。透谷以来プロレタリア詩人に至るまで、幾人かのそういえる詩人を算え得ることは我々日本人の名誉に値するが、ごく最近に処女詩集「わたしは風に向って歌う」を世に問うた詩人江森盛彌は、現に我々の有するそうした誇るに足る詩人の一人だと私は断言する。装幀はあいにくと貧弱だし、内容にも収めらるべくして収まらなかったものが相当あるようだが、これは今「人民解放」のために、一人でも多くの人民の耳もとへ、風と共に呼びかけられてよい本当の歌声である。
(『歌ごえ』3号 アンケート 詩とヒュマニズム 1948年6月号)

*『歌ごえ』3号の冒頭に特集「アンケート 詩とヒュマニズム」として、新島繁「豫言者の任務」、岡本潤「封建的抒情の駆逐」、浅井十三郎「働く者のヒュマニズム」を掲載しています。

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