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ブブノワさんのこと   長田三郎

ここでは、「ブブノワさんのこと   長田三郎」 に関する記事を紹介しています。


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(「長田三郎遺稿集 目をアジアに」1994年)

ブブノワ女史はロシア・アヴァンギャルドの流れをくむ画家でしたが、日本に来てからは早稲田大学でロシア語を教えた名物講師でした。戦前は上田進や谷耕平らのロシア文学者に大きな影響を与えましたが、戦後早稲田に入学した長田三郎もその薫陶を得たのでした。

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 ブブノワさんのこと     長田三郎

 昨年十一月三十日付の朝日新聞は、ソビェトの画家ワルワーラ・ドミートリエブナ・ブブノワ女史(一八八六ー一九八三)の伝記がモスクワで出版されたことを報じています。ブブノワさんは私にとって忘れ得ぬ人です。戦後プーシキンの『オネーギン』の朗読を指導して頂いたからです。ブブノワさんがすばらしい発音で朗読されますと、その余韻が、長い間の野戦や俘虜生活で砂漠のように乾涸びた私の胸にしみとおる思いがしました。詩がリズムとハーモニーをもって奏でられる音楽であることをはじめて知りました。この長篇詩をもとにしてチャイコフスキーが、『エヴゲーニイ・オネーギン』を作曲したことも首肯されます。
 ブブノワさんの授業は真剣そのものでしたので、私は一時間の講義を受けるために五、六時間かけて詩句を暗誦できるまで下調べをして教室に出ました。いつもブブノワさんから「同志長田、美しく読みなさい。」といわれたロシア語は、今も耳に残っております。

 ブブノワさんは、妹のバイオリニスト小野アンナさんを追って、革命後の大正十一年に来日され、同じころドイツから帰国した村山知義さんらとともに前衛芸術運動を展開され、かたわら多くのロシア文学者を育てました。姉妹いっしょに暮らすために昭和三十三年帰国されましたが、晩年になってからも、「私の心の半分は、いまも日本にとどまっている。」と話しておられたということです。ブブノワさんは、日本を心から愛し、三十六年間の滞在中、自分のすべてをさらけ出して、ロシア文化の真随を伝えるために努力されたのです。
 ブブノワさんに紹介して頂いたのは、ネクラーソフの『デカブリストの妻』の訳者谷耕平(宮坂好安)先生でした。レニングラードの大学で詩の講義をしておられた谷先生は、作家同盟大会の席上でブブノワさんと再会されたとき、「私のお母さん」と叫んで抱擁されたそうです。
 私はプーシキンからは詩の美しさを、そしてブブノワさんからは献身の美徳を教えられました。
                  (一九八五・一・一五)
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