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花梨

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花梨




雪







  花 梨          長田三郎

《歴史に教えられることはただ一つ──人は竟に歴史から何ごとも学ばないのだろうか》

昭和十八年の冬
小山上等兵ははじめて屍衛兵に立った

常念岳颪が吹きぬける高原の一角に並んだ
黒ずんだ兵舎
北側の目立たないところに
赤茶けてはいるがそこだけは畳敷きの
英靈安置所
大陸で戦病死した兵士の骨箱が置かれた祭壇には
だれが供えたのか 花梨がいくつか
甘酸っぱい香りを漂わせ
遺骨を受取りにきた農民の夫婦が
火鉢で手を炙っていた

戦病死は「名誉の戦死」ではない
さむざむとした裸電球のもと
骨箱を見つめる両親はどこかおずおずして
塑像のように押黙っていた

兵営──
柵で外界から遮断され
一切の批判と抗弁を封ぜられた兵営にも
考える自由だけは残されていた
小山上等兵は立哨しながら ひとり呟いた

《人ごとではない 明日はわが身だ
靖国神社に祀られなくてもいいが
賜金の下りないのは痛い
ましてかけがえのない働き手を喪った両親の嘆きは……
:無粋な歩哨が前に立ってさえいなければ
わが子の骨箱を抱いて
声をあげて哭きたかったろうに
 ……

明日朝一番列車で発って
木曽谷を下っていくという
無名の兵士の骨は
父親に背負われ、峠を越えて
幼い弟妹の待つ故郷の谷間に帰っていくのだろう
峠の頂に立つと
彼が少年の日朝夕仰ぎ見た白銀の御岳山が
神々しいばかりに耀き聳えているにちがいない……》
黝い雲間から月光が斜めに射すと
銃剣の先が鈍く光った
凍りついた夜空に
消灯ラッパのかすれた音が消えると
暗い静寂が兵舎を包みこんだ
靴音が近づき
薄汚れた雪を蹴散らしながら
衛兵を引率した歩哨係が現れた
歩哨「交代」の大声に
両親は一瞬ぎょっとして身じろぎしたが
ふたたび火鉢に手をかざして
塑像のようにじっと押黙っていた
さむざむとした裸電球が光を落とし
花梨が甘酸っぱい香りを漂わせていた

屍衛兵に立った小山上等兵も
翌年の春サイパン島に征ったきり消息を絶った

(『信州白樺』61・62・63合併号 特集「反戦・反核を訴える詩人たち」 1985年2月13日)


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