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死刑囚監房で(中)

ここでは、「死刑囚監房で(中)」 に関する記事を紹介しています。

 刑の執行を前にした死刑囚には、適当にご馳走を食わせる規定になっていた。そういうわけで、わたしたちの食事には、豚の足の肉やカツレツや焼いた若鶏などがついたし、あるいは、フランスふうな食事が出たのである。食べたいものがあったら、一言いえば、それにありつけたのだ。わたしたちのところへもってきた餅《もち》を揚げさせたこともある。外にいる同志たちが「椰子《やし》の実でつくった匙《さじ》で、餅を食った」と言っていたように。
 わたしたちの監房の近くに、政治犯と刑事犯のまじった婦人監房があって、扉から彼女たちを見ることができた。いく人かの婦人たちには、幼い子供がいて、かわいそうにやせ細って監房の中をよちよち歩きまわっていた。わたしは仲間に、食事の一部を子供たちにやろうと提案した。それからは、食事ごとに、その子供たちのために一皿をしつらえた。この食事が少しでもおくれると、子供たちは、待ちかねた様子で、遠くから催促するような目で、わたしたちを眺めるのだった。

 囚人たちが、以前ほどどなったり、乱暴をはたらいたりしなくなったのに気がついて、警官や看手たちが、監房に近づくようになった。彼らは、そういう事態が一人の政治犯が来てから始まったことを知っていた。彼らはわたしと話をしようとつとめた。アレクサンドルという名の看守は、社会党員だと名のり、たびたびやって来て、わたしとしゃべった。ある時、彼は思案顔でわたしに言った。
 「どうもおれにはよくわからない、不審なことがあるんだが、共産党員は、外にいる時は猛烈な勢いでたたかうくせに、監獄にはいると、ひどく堂々とした態度になる。死ぬのが決まっているのに、相変わらず陽気なんだなあ」
 わたしは答えた。
 「君たちは、死の苦しみがおれたちをおじけさせたり、気違いにさせるにちがいないと考えている。人生に何の目的もなく、政治的な理想も未来の展望ももたない連中は、死刑の宣告をうけると気も狂い、狂暴にうなる。だがおれたちは、はっきりと未来の社会を見通しているんだ。おれたちは処刑にされても、おれたちの国が将来独立することがわかっているんだ。おれたちは、君らの支配体制に反抗して革命闘争をやっているからには、牢獄と死が避けられないってことも、はっきり知っているんだよ。だから、ぶちこまれたって、べつに驚くことはないのさ」

 わたしはずっと後に、プーロコンドル島の監獄で看守をしているアレクサンドルにまためぐり会った。彼はもう誰にも意地の悪い扱いはせず、ラジオであたらしい二ュースを知ると、すぐわたしたちにそれを知らせてくれた。
 わたしたちは、監房の中で、トランプやさいころをつくった。トランプは古いボール紙で、自分たちで絵を描いたし、さいころはパン屑をよく固めたものだった。壁に塗ってあるタールをたばこでとかして、それでさいころの黒い点を着けた。赤い点は、巻きたばこの箱の包み紙で着けた。
 食事がすむと、わたしたちはおしゃべりをし、さいころ遊びやトランプ遊びに興じた。勝った者は、負けた者に食器を洗わせるという賭《かけ》をした。
(つづく)

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』)

母子像



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