死刑囚監房で ファム・フン 大島博光訳
わたしが、サイゴン中央監獄の死刑囚監房に着いた時、そこにはもう刑事犯の死刑囚が三人はいっていた。プーロコンドル島に収監されていたタンとローは殺人罪だった。三人目のモー・ラムは、ジァディンで犯した殺人の罪に問われていた。わたしが政治犯だとわかると、彼らはさっそくわたしに敬意を示した。
「前に、小人《こびと》さんがここにいたよ。あの人の『キム・バン・キェウ《*》』の詩の本がまだそこにある」と彼らが言った。
死刑囚監房では、刑事犯の囚人や警官や看守はリ・チュ・チョンを尊敬していた。そして「小人さん」と呼んでいた。
やはりチョン同志はここに入れられていたのだった。部屋の隅に、小型本の黄色くなった数枚があった。それはチョンが残した有名な『キム・バン・キュウ』のベージだった。わが民族の偉大な詩人《**》は、死刑囚監房の中まで、死刑台にのぼる時まで、闘士のあとについてきていたのだ。
大きな悲しみに胸をしめつけられながら、わたしはこれらの数ページを揃《そろ》えた。
獄史どもがチョンを死刑台へ連れて行った日、わたしはまだ、ミリトの監獄にいた。その前の日、われわれの監房はみな、抗議のしるしにハンストを決行した。わたしは、「殺戮《さつりく》と放火と治安の撹乱《かくらん》を伴うデモ」のために、ミリトに連行されていたのだった。
このデモは、一九三一年、ミリトで行なわれた最初のメーデーのデモだった。人民は、ひじょうに残酷な市役所の役人の「フォン・カン」という男を捕えて裁判にかけ、処刑した。
わたしはあちこちの監獄を引きまわされた。そして、特別法廷で死刑を言い渡されて、この監房に移されたのだ。わたしは二十歳だった。
監房は、縦が三メートル、横が五、六メートルばかりの狭い部屋だった。四方の壁はむきだしのコンクリートの壁で、鉄の戸がひとつついていた。一方の側に、窓とは名ばかりの、たばこ一本はいらないような小さな穴をあけた鉄板があった。中は暗くて、昼間でも赤いランプがついていた。おそろしく暑かった。わたしたちはすっ裸だった。監房の長さだけある足枷《あしかせ》で片足をしめつけられた、コンクリートの床にじかに寝ていた。
二、三カ月に一度、警官がやって来て、わたしたちの気分を変えさせるために、この足枷を外した。わたしのを外すごとに、彼らはほかの監房をすっかりしめ切り、まるで軍事作戦でもやるように、兵隊と警官と看守をひとつところに集めた。それだけの準備をして、やっと彼らはわたしの足枷の南京錠をあけにかかったのである。
*
刑事犯の死刑囚たちは、どのみち死ななければならないと考えて、絶望していた。
彼らは口を開けば、やけっぱちにわめきちらした。彼らの狂暴さは、しばしば、警官たちをさえふるえあがらせるほどだった。大部分コルシカ人である看守たちも、彼らを恐れていた。タンとローとラムは、一日じゅう、彼らに毒づいていた。食事を運んできた看守は、戸をあけるなり、ひどい悪口の波をあびせかけられた。屑《くず》入れのバケッをすっぽり頭にかぶせられることさえあった。
彼らの話によると、一度、フランス人の神父がやって来て、「みなさん、何か必要なものはありませんか。みなさんの手助けをします」とたずねたことがあった。暗い監房の奥で、ひとりの男が立ち上がって、ていねいに返事した。「どうぞおはいりください、神父さん。わしらはあなたにお話ししてえことがあるです」。神父が中にはいるやいなや、囚人たちはとびかかって、神父のひげをつかんで、叫んだ。「よーくお出でなすった、神父さん。はいったからには、おれたちといっしょにいておくんなせえ」
わたしは、こういうことはいいことだとは考えなかった。警官や看守たちは「死刑囚なんかにはかかわりあわねえことだ。あいつらはほんとの狂犬なんだから」と言い合っていた。看守たちは、共産党員の死刑囚も彼らに似たりよったりだと思っているのにちがいないとわたしは考えた。そこで、わたしはタンとローとラムに言った。
「人間はよいことをするために生きているんだよ。おれたちがよいことをすれば、よい評判を残すことができる。ここにいて死刑台にあがる日を待っているおれたちも、威厳を保っていたら、よい評判を残せる。死刑台はすぐ間近だ……けれどもおれたちはほんとうの人間として、堂々とりっぱに生きなければならない。そうしてこそはじめてひとに尊敬の念を起こさせることができるんだ。そうなれば、裁判官たちも、いくら法律で死刑を命じても、彼らは満足も得られぬということがわかるんだよ」
三人とも、黙って聞いていた。わたしはつづけた。「おれたちの生き方は、君たちとはちがっているんだ。おれたちは革命をやるんだ。おれはいくつも牢獄を引きまわされて、刑事犯の囚人に大勢会ったがね。たいていは、政治犯の言うことを聞いてくれるものだということが、おれにはわかったよ。おれたちみんな人間じゃないかね?植民地主義者どもにばかにされないようにしなければならない。そうすれば、おれたちが死んだあとも、尊敬するだろうよ……」
だんだんと、わたしは囚人たちを組織していった。わたしは言った。
「看守にたいしても、めいめいがかってなことをすれぼ、混乱するばかりだ。おれたちのうちの一人を代表にえらぼうではないか」
タンとローとラムは賛成して、わたしを代表に推した。監房の中に秩序ができた。
朝、囚人の一人だが死刑囚でない炊事係が、何を食べたいかと聞きにきた時、わたしは献立表をつくって手渡した。もう以前のように、「おいこら、ベンランの市場へ行って、とりたての野菜を買ってこい」とか「こら!よく肥えた、まだ生きてる鶏を買ってこい。それをおれたちのところへもってこい。しめ殺すまえの鳴き声が聞きてえんだ、わかったか」などと、タンとローとラムが、どなりちらすこともなくなった。
(つづく)
(ベトナム短編小説集『サヌーの森』)
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