ベトナムと私
天使たちの大地 大島博光
わたしはさいきん、『ベトナム詩集』(飯塚書店)と、『サヌーの森』(新日本出版社)とを、フランス訳から重訳した。そこに出てくる農村や農民や、その風習などの描写を訳しながら、わたしは、自分の子供の頃を過した、信州の農村と農民とその風習とを思い出さずにはいられなかった。映画『キム・ドン』に出てくる、水をはった田や、その向うに見える小さな山の風景などを見ても、それはなんと似ていることだろう。稲作を中心とした農耕生活、生活のなかにとけこんでいる仏教風な行事などの類似は、日本もベトナムも、むかしからおなじ東洋の文化圏に属していたことを、よく物語っているように思う。
たとえば、アン・デュックの『土地は』(本誌六七年十一月号)に出てくるタン老人が、カイライ軍の隊長とたたかって死ぬ場面などは忘れられない。家を明け渡して戦略村へ移れ、と言って家に押し込んできたカイライどもを前にして、タン老人は、悠々と、『綾織の絹の長衣』を取り出して、ゆっくりとそれを着る。それから、線香に火をつけると、仏壇の前に座って、お祈りをあげる。
「ああ、先祖の方がた! ああ、わしの御両親よ! 昔、被牲になられた英雄たちの霊よ! この家とこの土地は、先祖さまと御両親とあなた方みんなのものです。革命のおかげで、わしは今のようになりました。きょう、奴らがやってきて、わしにこの土地を離れよと強いとります。わしは、御先祖と革命から受けた御恩に背きたくありません。じゃから、御先祖と革命の英雄たちに見守っていただけるように、ここで死なせてくだされ……」こういうお祈りがすむと、家の隅の槍をとって、タン老人は、コルト銃を構えた、残忍なカイライの部隊長に決然として抵抗し、殺されてしまう。
わたしが子供の頃を過した信州の農村でも、家々に、先祖伝来の、もうすすけて黒光りのした仏壇があって、年とったおじいさんたちが、朝晩、その前に坐って、小さな鐘をたたきながら、お経をよんだり、お念仏をあげていた。(いまでは、もうそんなおじいさんは恐らく数少ないことだろう。)そして座敷のなげしには、柄に螺鈿をあしらった長槍が、飾ってあった。この長槍は、まったくの装飾であって、むろん何んの役にも立たなかった。しかし、思い出せば、わたしの村にも『タン老人』はいたようだ。当時は、小作争議の盛んな頃で、わたしの村のタン老人は、地主の家に単身で乗りこんで、たたかった。結果は敗北であった。それまで住んでいた家を追われて、別の土地に住むことになったのだった。そのおじいさんは、子供のわたしの眼にも、気骨あるえらい人のように映ったことを覚えている。それから、トー・フーの「おふくろ」という詩などは、そのまま日本の田舎の風景を思わせる。
きり雨の山から 冷めたい風が吹きおろす
おふくろさんよ 寒くはないか
おふくろは 寒さになろえながら田植えだ
足は泥田のなか 手は苗を植える
おふくろは 一本いっぽん苗を植えてゆく
そして植えるたんびに 息子のことを考える
きり雨は おふくろのぼろ着をぬらして降る
そのしたたりほどに おれはおふくろを思う
おふくろよ おれを思っても悲しまないでおくれ
敵を追っぱらって おれはきっともどってくる
これらの名もない英雄たちは、ベトナムの大地のうえに。
だが、ある人びとは、そこに東洋的な停滞の姿を読みとるかも知れない。しかし、二千年来、外敵の侵略とたたかいつづけねばなら一なかったベトナム人民が、ようやくたたかいとった自由と進歩にたいして、いまも理不尽な爆撃を加え、世界の面前で、橙面もたく皆殺し政策をおし進めているもののことを思えば、人間と自由と進歩の敵であるところのものの姿は、悪魔そのものの姿として、いっそうくっきりとしてくる。そうして悪魔がいるからには、天使が生まれて来ないわけにはゆかぬのだ。詩人チェ・ラン・ビヤンは「新しい天使」について、いみじくも、こう言っている。
「新たに天使が生まれた。悪魔をたおすために、神聖犯すべからざる力が生まれた。だがこの天使は天から降ったものでもなければ、三面六臂でもない。農村から、工場から、何万という腕、何万という眼、何万という心、そしてすべての人びとの知恵にささえられてあらわれたのだ。この天使は古代の枚世主のようなスーパーマンでもなければ、現代の原子力のような特別な力をもっているものでもない。それは怒りにみちた民衆の感じやすい心から生まれた革命的な力である。……」(北原幸子氏訳)
まさに、大地のうえに立ち上った人民ほどに強いものはない。ベトナムの天使たちは、ベトナムの大地から、かならずあの星条旗をかざした悪魔どもを追い払うだろう。(詩人)
(『民主文学』一九六八年八月)
天使たちの大地 大島博光
わたしはさいきん、『ベトナム詩集』(飯塚書店)と、『サヌーの森』(新日本出版社)とを、フランス訳から重訳した。そこに出てくる農村や農民や、その風習などの描写を訳しながら、わたしは、自分の子供の頃を過した、信州の農村と農民とその風習とを思い出さずにはいられなかった。映画『キム・ドン』に出てくる、水をはった田や、その向うに見える小さな山の風景などを見ても、それはなんと似ていることだろう。稲作を中心とした農耕生活、生活のなかにとけこんでいる仏教風な行事などの類似は、日本もベトナムも、むかしからおなじ東洋の文化圏に属していたことを、よく物語っているように思う。
たとえば、アン・デュックの『土地は』(本誌六七年十一月号)に出てくるタン老人が、カイライ軍の隊長とたたかって死ぬ場面などは忘れられない。家を明け渡して戦略村へ移れ、と言って家に押し込んできたカイライどもを前にして、タン老人は、悠々と、『綾織の絹の長衣』を取り出して、ゆっくりとそれを着る。それから、線香に火をつけると、仏壇の前に座って、お祈りをあげる。
「ああ、先祖の方がた! ああ、わしの御両親よ! 昔、被牲になられた英雄たちの霊よ! この家とこの土地は、先祖さまと御両親とあなた方みんなのものです。革命のおかげで、わしは今のようになりました。きょう、奴らがやってきて、わしにこの土地を離れよと強いとります。わしは、御先祖と革命から受けた御恩に背きたくありません。じゃから、御先祖と革命の英雄たちに見守っていただけるように、ここで死なせてくだされ……」こういうお祈りがすむと、家の隅の槍をとって、タン老人は、コルト銃を構えた、残忍なカイライの部隊長に決然として抵抗し、殺されてしまう。
わたしが子供の頃を過した信州の農村でも、家々に、先祖伝来の、もうすすけて黒光りのした仏壇があって、年とったおじいさんたちが、朝晩、その前に坐って、小さな鐘をたたきながら、お経をよんだり、お念仏をあげていた。(いまでは、もうそんなおじいさんは恐らく数少ないことだろう。)そして座敷のなげしには、柄に螺鈿をあしらった長槍が、飾ってあった。この長槍は、まったくの装飾であって、むろん何んの役にも立たなかった。しかし、思い出せば、わたしの村にも『タン老人』はいたようだ。当時は、小作争議の盛んな頃で、わたしの村のタン老人は、地主の家に単身で乗りこんで、たたかった。結果は敗北であった。それまで住んでいた家を追われて、別の土地に住むことになったのだった。そのおじいさんは、子供のわたしの眼にも、気骨あるえらい人のように映ったことを覚えている。それから、トー・フーの「おふくろ」という詩などは、そのまま日本の田舎の風景を思わせる。
きり雨の山から 冷めたい風が吹きおろす
おふくろさんよ 寒くはないか
おふくろは 寒さになろえながら田植えだ
足は泥田のなか 手は苗を植える
おふくろは 一本いっぽん苗を植えてゆく
そして植えるたんびに 息子のことを考える
きり雨は おふくろのぼろ着をぬらして降る
そのしたたりほどに おれはおふくろを思う
おふくろよ おれを思っても悲しまないでおくれ
敵を追っぱらって おれはきっともどってくる
これらの名もない英雄たちは、ベトナムの大地のうえに。
だが、ある人びとは、そこに東洋的な停滞の姿を読みとるかも知れない。しかし、二千年来、外敵の侵略とたたかいつづけねばなら一なかったベトナム人民が、ようやくたたかいとった自由と進歩にたいして、いまも理不尽な爆撃を加え、世界の面前で、橙面もたく皆殺し政策をおし進めているもののことを思えば、人間と自由と進歩の敵であるところのものの姿は、悪魔そのものの姿として、いっそうくっきりとしてくる。そうして悪魔がいるからには、天使が生まれて来ないわけにはゆかぬのだ。詩人チェ・ラン・ビヤンは「新しい天使」について、いみじくも、こう言っている。
「新たに天使が生まれた。悪魔をたおすために、神聖犯すべからざる力が生まれた。だがこの天使は天から降ったものでもなければ、三面六臂でもない。農村から、工場から、何万という腕、何万という眼、何万という心、そしてすべての人びとの知恵にささえられてあらわれたのだ。この天使は古代の枚世主のようなスーパーマンでもなければ、現代の原子力のような特別な力をもっているものでもない。それは怒りにみちた民衆の感じやすい心から生まれた革命的な力である。……」(北原幸子氏訳)
まさに、大地のうえに立ち上った人民ほどに強いものはない。ベトナムの天使たちは、ベトナムの大地から、かならずあの星条旗をかざした悪魔どもを追い払うだろう。(詩人)
(『民主文学』一九六八年八月)
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