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「見者の手紙」

ここでは、「「見者の手紙」」 に関する記事を紹介しています。
 「見者の手紙」

 ここでは、コミューヌのさなかに書かれた、有名な「見者の手紙」について見てみよう。一八七一年五月十五日付ポール・デムニ宛の手紙が「見者の手紙」ともいわれているが、その二日前の五月十三日付イザンバール宛に書かれた手紙にも、すでに「見者」の考えが現われている。そこでまずイザンバール宛の手紙から見てみよう。
 いまや昔の恩師イザンバールとランボオとの間はまずくなっていた。イザンバールはいまはランボオ夫人の味方になって、こんな手紙をランボオに書く。
 「きみが詩人になりたいというのはたいへん結構だ。だがまず、きみの大学入学資格試験のことを考えたまえ。もしもきみが家に耐えられなかったら、あるいは家の方がきみに耐えられなかったら、何らかの手だてできみの生活費をかせぎたまえ。しかしきみの勉強をやめないように」
 ランボオは幻滅した。かつてランボオに夢を吹きこんでくれたイザンバールも、いまは、臆病者にすぎなかった。セント・ペテルスブルグにいる兄弟が、ロシアのある王族の家庭教師の職を彼に紹介したのに、彼はドゥエの高等中学《リセ》の代用教師となることで満足していた。ランボオが一八七一年五月十三日付のイザンバール宛の手紙を書いた時の事情はこのようなものであった。この手紙は冒頭から皮肉にみちている。
 「あなたはまた教師《プロフェスール》になった。ひとはみな社会につくす義務がある――そうあなたはぼくに言いました。あなたは教職について、結構な軌道のうえを転がっているのです」
 やがてそれは、先生にたいする無礼な言葉へと高まる。
 「しかしあなたは結局、ひとりの満ち足りた男が何もしようとせず、何もしなかったように、そんな風になるでしょう……ぼくは労働者になろう──この考えがぼくを引きとめているのです、狂おしい怒りがパリの戦闘へぼくを駆りたてている時にも。こうしてあなたに手紙を書いている間にも、パリではなおたくさんの労働者たちが死んでいるのです! 働くなんて、いまはとてもとてもできません。ぼくはストライキ中です」(「手紙のこの部分はコミューヌが戦っていたパリにはランボオは行かなかった、行けなかった、という証明によく使われる。)
 つづけて彼は「見者」になるために勉強していると書き、侮蔑をもって書き加える。「あなたには(「見者」のことなど)全然わからないでしょう。そしてぼくもあなたに説明することはできないでしょう」
 そして「見者」になるため「いまぼくはできる限り、飲んだくれてみずからを無頼の徒にしているのです」
 この手紙にたいして、イザンバールも辛辣な返事を書く。
 「きみの 《見者》の理論には気をつけたまえ。そしてきみ自身もまた大口をたたく者で終らぬように――詩神《ミューズ》の殿堂の怪物よ」
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

海からの風

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