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『地獄の季節』(6)ランボオの母親について

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ランボオの母親について

 ここでアルチュールの母親ランボオ夫人についてちょっと弁護する必要があるように思われる。ほとんどすべてのランボオの伝記作者は、彼女を冷酷な鉄のような女として描いている。また息子の詩人も「闇の口」などと言って、かなり誇張して母親を描いている。しかし、息子がヴェルレーヌにピストルで撃たれて手に負傷した時には、さっそくブリュッセルに駆けつけて、ヴェルレーヌに息子から別れるようにと諭して、いかにもしっかり者の母親として振舞っている。またヌーボオに置いてきぼりにされたランボオに呼ばれると、娘を連れてはるばるロンドンまで出むいて、息子の急場をしのいでやったり、就職口をさがして働くようにと促している。そして妹ヴィタリの「日記」によれば、母親は涙を流して息子の将来を案じている。そればかりではない。放浪の旅に出かけたと思えば、帰巣本能をもった渡り鳥のように、その都度ランボオが帰ってゆくところは、母親のいるロッシュかシャルルヴィルである。もしも母親がほんとうに冷酷な鉄のような女だったら、ランボオがいくら旅で困ったからといって、このように帰ってゆくことはできなかっただろう。死ぬ前にも、梅毒による右膝の関節炎にかかったランボオは、エチオピヤのハラルからゼイラを通ってマルセイユの施療病院に運びこまれた時、母親に電報を打っている。――「きょう、あなたかイザベルか、急行でマルセイユに来られたし。月曜日朝、右脚切断。死の危険あり……」(一八九一年五月二十二日)
 それにたいして、ランボオ夫人ははげましの返電を打つ。──「出発する。明晩着く。勇気を出し我慢せよ……」
 このようなランボオ夫人を、どうして血も涙もない冷酷な女と見ることができよう。まだ小さかった四人の子供とともに、彼女は夫のランボオ大尉に捨てられた。ちょっとした農場を経営しながら、彼女は信心深さと後家のがんばりで、子供たちをきびしく育てなければならなかった。彼女の世間態を重んずるプチ・ブルジョア意識は、息子の詩人には耐えがたいものであったろう。しかし、後家のがんばりで、しっかり者にならざるをえなかった彼女の境遇と立場も同情されるべきであろう。
(この項おわり──「『イリュミナシオン』について」につづく)

新日本新書『ランボオ』

ランボオ夫人



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