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『地獄の季節』(3)「不可能事」にふれて

ここでは、「『地獄の季節』(3)「不可能事」にふれて」 に関する記事を紹介しています。
「不可能事」にふれて

 「地獄に堕ちた者」という主題《テーマ》が、「無垢な異教徒」という主題《テーマ》のあとにやってくる。「無垢な異教徒」はブルジョワの世界からは「けだものだ、黒ん坊だ」とののしられてきた。しかしこの異教徒は彼をさげすんだ連中よりも純潔をまもり、汚れや妥協とはたたかってきた。ランボオは絶えず腐敗した西洋世界を侮蔑し、キリスト教的な西洋を嘲笑している。「お利巧なプリュドム氏はキリストとともに生まれた」と彼は「不可能事」のなかに書く。そしてランボオは、自分が純潔を失ったという「胸をひき裂く不幸」と西洋への侮蔑のあいだに揺れている。その西洋にたいして「原始の国、東洋の英知」を対置する。彼は「不可能事」のなかで、ノスタルジーをもって原罪以前のエデンを喚起し、「眼覚めの一瞬」にしかかいま見ることのできない純潔に絶望的に呼びかける。「おお、純潔よ!純潔よ!」しかし、この身を灼くような危機からランボオはついに脱け出る……『地獄の季節』の終りの二つの作品、「朝」と「訣別」は、彼の地獄への訣別である。この二つの作品は、地獄に堕ちた男の現実への帰還、──「ざらざらした現実を抱きしめ」るための、大地への帰還を謳い、「天国の歌」と「新しい労働の誕生」を、「人民の前進」と「ほんとうの地上クリスマス」とを統一しようとしている。またここには、「新しい労働の誕生」「人民の前進」というような近代的社会主義的な理念と、「太陽の子」「道士」といったような、いわゆる天啓論illuminismeやメシアニスム(救世主待望)の理念とがいりまじっていることは、きわめて興味ぶかい。これらの宗教的な思想が、パリ・コミューヌの時代には、プルードンらの空想的社会主義などといっしょに流布していたのにちがいない。(マルクスの科学的社会主義に指導されたインタナショナルは当時少数派であった。)そういう思想状況が、ランボオのなかにも反映していたと見ることができる。
 ジャン・フォランはその間の事情についてつぎのように言う。
 「ひとはよく、ランボオはパリ・コミューヌに参加したのか、しなかったのか、と疑問に思ってきた。コミューヌという矛盾にみちた運動の時代には、いろいろなイデオロギーがあった。それらのイデオロギーがどのようなものであれ、あの当時作られていたような運命にたいするひそかな反抗は、すでに数多くのコミューヌの士を集めていた。ランボオはより現実的で真実の世界を熱望して、その反抗に参加したのである……」(『ウーロップ』誌一九七三年五・六月号)
 そして詩人は未来への希望をつぎのようにうたう。

  そしてあけぼのには、輝かしい都市《まち》へ入ろう。

 この「輝かしい都市《まち》」は、ミュシレが未来の都市について語った表現を、ランボオが思い出したものとも考えられるし、あるいは「悲惨の港」(『イリュミナシオン」)に対置された未来の都市とも考えられる。何れにせよ、ランボオは未来に希望を託したのである。
 しかし、西洋を嫌悪し憎悪したランボオの「輝かしい都市《まち》」はどこにあったのだろう。彼はそれをどこに夢みていたのだろう。彼は「東洋へ、最高で永遠の英知へ還るのだ」(「不可能事」)とも書いている。それはランボオがロッシュの農場で描いた、単なる東洋へのあこがれ、むなしい夢想だったのか……そうは思われない。ランボオにあっては、生と詩とはべつべつのものではなかった。いつ消えてもふしぎでない夢想を、しかしランボオは現実のなかに追求する。それから七年後の一八八〇年、詩を捨て、西洋を捨てたランボオはじっさいにアラブの岸べに上陸し、エチオピアのハラルへと向かう。あの夢を追って……。
 ランボオは生と詩とをひきはなすことを知らなかった。「地獄の季節」の最後の言葉は「魂のなかにも肉体のなかにも真理をもつことがおれにも許されよう」である。生と詩にはただ一つの真理しかない……。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

笛

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