『地獄の季節』
裁判のあと間もなく、一八七三年八月十日頃、ランボオはふたたびロッシュの農場に帰った。「わたしが前から言っていた通りだ……」というランボオの母親の苦にがしい勝利感を察することができる。妹イザベルの思い出によれば、ランボオは「ヴェルレーヌ、ヴェルレーヌ……」と泣きじゃくりながらくずおれたという。そのとき恐らく彼は、じぶんの責任の大きさをおしはかっていた。彼の悪魔のような強情さが、友だちを牢獄暮らしへと追いこんだのだ……だがいくら後悔しても後の祭りだ。この過ちをつぐなうには彼の全生涯をもってしても足りないだろう。
事件はけりがついた。農場ではみんなが取入れに追われていた。ランボオはふたたび納屋にこもって仕事を始めた。「異教徒の書」あるいは「黒ん坊の書」──彼はこの題名をさっと消して、かわりに『地獄の季節』と書いた。
彼は「地獄堕ち」という主題を見つけたのである。これでこの書はまとまりをもつことになる。調子が変わる。これを書きはじめた四月の頃には、彼はひどい憂鬱にとらわれた自分がまだ不憫でならなかった。しかし、血まみれの惨めな闘いから抜け出てきたいま、彼はそれによってたくましくなり、したたかになった自分を見いだした。彼の「地獄に堕ちた男の手帖」は、無類の美しさをもった、閃光を放ち顫える散文詩によって埋められてゆく。
『地獄の季節』はヴェルレーヌによって「驚嘆すべき自叙伝」と呼ばれたが、それはまた「ダイヤモンドの散文」(ヴェルレーヌ)によって書かれていると言われる。それはフランス文学史上もっとも異常な散文詩であり、危機にある意識の深部を抉り出した稀有な作品である。
パリにおける詩人たちの祭りの思い出とおのれの反抗ぶりを書いた序詩についで、「悪い血」が収められる。
このようにここには劣等人種のテーマが出てくる。それにつづいて、ヨーロッパ文明にたいする恐怖と軽蔑を叫ぶ「黒ん坊」のテーマがでてくる。またキリスト教と汎神論との闘いも歌われ、ランボオは「老婆や子供たちといっしょに魔法使いの夜宴《サバト》を踊って」もいる。そうかと思うと、またコミュナールの夢があらわれる。
「科学、新しい貴族!この世は進む!」
ここには危機におけるランボオの意識が、その矛盾のままに、渾沌のままに現われているように見える。むろんランボオらしいミスティフィカシオン(韜晦)をまじえながら。
さて、ランボオを灼く地獄の火のさまは、「地獄の夜」のなかに描かれる。
この「地獄の夜」の草稿には「にせの改宗」という題名がついている。ランボオはヴェルレーヌにピストルで撃たれて負傷して、ブリュッセルの病院に入っていた時、危うくふたたび信仰にもどろうとした。その「天使との闘い」がここに語られている。前作の「悪い血」とは大きなへだたりがある。つまり異教徒や「黒ん坊」は地獄には堕ちない。なぜなら「地獄も異教徒をおとしめることはできぬ」からだ。ランボオは彼のうけた洗礼によって地獄に堕ちたという考えをここで強調している。「おれは自分が地獄にいると信じている。だからおれは地獄にいるのだ」
「錯乱Ⅰ」に登場する「気狂い娘」がヴェルレーヌであり、「地獄の夫」がランボオであることは疑いがない。この作品には、ヴェルレーヌとランボオの二人の肖像が描かれており、ロンドン滞在中の二人の同棲生活をわれわれは知ることができる。ヴェルレーヌの弱さ、彼にたいするランボオの軽蔑、ランボオの怒鳴ったり、優しくしたりを繰り返す態度、「奇妙な夫婦暮し」の精根を使い果させる生活ぶり、それらすべてにここでは光があてられている。このヴェルレーヌの「告白」は、ランボオによって書かれているとはいえ、重要なドキュメントである。とくに注目すべきはランボオが、どれほど自分がヴェルレーヌに理解されていないと思っていたかが、ここに描かれている点である。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
裁判のあと間もなく、一八七三年八月十日頃、ランボオはふたたびロッシュの農場に帰った。「わたしが前から言っていた通りだ……」というランボオの母親の苦にがしい勝利感を察することができる。妹イザベルの思い出によれば、ランボオは「ヴェルレーヌ、ヴェルレーヌ……」と泣きじゃくりながらくずおれたという。そのとき恐らく彼は、じぶんの責任の大きさをおしはかっていた。彼の悪魔のような強情さが、友だちを牢獄暮らしへと追いこんだのだ……だがいくら後悔しても後の祭りだ。この過ちをつぐなうには彼の全生涯をもってしても足りないだろう。
事件はけりがついた。農場ではみんなが取入れに追われていた。ランボオはふたたび納屋にこもって仕事を始めた。「異教徒の書」あるいは「黒ん坊の書」──彼はこの題名をさっと消して、かわりに『地獄の季節』と書いた。
彼は「地獄堕ち」という主題を見つけたのである。これでこの書はまとまりをもつことになる。調子が変わる。これを書きはじめた四月の頃には、彼はひどい憂鬱にとらわれた自分がまだ不憫でならなかった。しかし、血まみれの惨めな闘いから抜け出てきたいま、彼はそれによってたくましくなり、したたかになった自分を見いだした。彼の「地獄に堕ちた男の手帖」は、無類の美しさをもった、閃光を放ち顫える散文詩によって埋められてゆく。
思い出せば、かっておれの生活は、すべての心が開き、すべての酒が流れた祭りだった。
ある夜、おれは美神を膝のうえに据えた。──見れば彼女は苦《にが》りきっていた。――そこでおれは彼女に毒づいた。
おれは正義にたいして武装した。
……
おれは死刑執行人どもを呼んだ。命果てながら、やつらの銃床に噛みついてやるために
……
ある夜、おれは美神を膝のうえに据えた。──見れば彼女は苦《にが》りきっていた。――そこでおれは彼女に毒づいた。
おれは正義にたいして武装した。
……
おれは死刑執行人どもを呼んだ。命果てながら、やつらの銃床に噛みついてやるために
……
『地獄の季節』はヴェルレーヌによって「驚嘆すべき自叙伝」と呼ばれたが、それはまた「ダイヤモンドの散文」(ヴェルレーヌ)によって書かれていると言われる。それはフランス文学史上もっとも異常な散文詩であり、危機にある意識の深部を抉り出した稀有な作品である。
パリにおける詩人たちの祭りの思い出とおのれの反抗ぶりを書いた序詩についで、「悪い血」が収められる。
「おれはゴール人の祖先から、青白い眼と、狭量な脳味噌と、不器用な喧嘩っぷりを受けついだ……。
おれがつねに劣等人種だったことは、おれにははっきりしているのだ……」
おれがつねに劣等人種だったことは、おれにははっきりしているのだ……」
このようにここには劣等人種のテーマが出てくる。それにつづいて、ヨーロッパ文明にたいする恐怖と軽蔑を叫ぶ「黒ん坊」のテーマがでてくる。またキリスト教と汎神論との闘いも歌われ、ランボオは「老婆や子供たちといっしょに魔法使いの夜宴《サバト》を踊って」もいる。そうかと思うと、またコミュナールの夢があらわれる。
「科学、新しい貴族!この世は進む!」
ここには危機におけるランボオの意識が、その矛盾のままに、渾沌のままに現われているように見える。むろんランボオらしいミスティフィカシオン(韜晦)をまじえながら。
さて、ランボオを灼く地獄の火のさまは、「地獄の夜」のなかに描かれる。
「おれは咽喉《のど》いっぱい毒をあふった。──おれの受けた忠告には、せいぜいお礼を言おう!──臓腑《はらわた》が焼けつく。ものすごい猛毒に手足はねじれ、顔はひきつり、おれは地をのたうちまわる。咽喉が乾いて死にそうだ。息がつまる。わめこうにも声も出ぬ。地獄だ、永遠の責苦だ! 見ろ、この火の燃えあがりよう!……」
この「地獄の夜」の草稿には「にせの改宗」という題名がついている。ランボオはヴェルレーヌにピストルで撃たれて負傷して、ブリュッセルの病院に入っていた時、危うくふたたび信仰にもどろうとした。その「天使との闘い」がここに語られている。前作の「悪い血」とは大きなへだたりがある。つまり異教徒や「黒ん坊」は地獄には堕ちない。なぜなら「地獄も異教徒をおとしめることはできぬ」からだ。ランボオは彼のうけた洗礼によって地獄に堕ちたという考えをここで強調している。「おれは自分が地獄にいると信じている。だからおれは地獄にいるのだ」
「錯乱Ⅰ」に登場する「気狂い娘」がヴェルレーヌであり、「地獄の夫」がランボオであることは疑いがない。この作品には、ヴェルレーヌとランボオの二人の肖像が描かれており、ロンドン滞在中の二人の同棲生活をわれわれは知ることができる。ヴェルレーヌの弱さ、彼にたいするランボオの軽蔑、ランボオの怒鳴ったり、優しくしたりを繰り返す態度、「奇妙な夫婦暮し」の精根を使い果させる生活ぶり、それらすべてにここでは光があてられている。このヴェルレーヌの「告白」は、ランボオによって書かれているとはいえ、重要なドキュメントである。とくに注目すべきはランボオが、どれほど自分がヴェルレーヌに理解されていないと思っていたかが、ここに描かれている点である。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
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