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中正敏「羽斑蚊に襲われ」(長田三郎「燕」について)

ここでは、「中正敏「羽斑蚊に襲われ」(長田三郎「燕」について)」 に関する記事を紹介しています。
鈴木初江が主宰した詩誌『稜線』の51号(1994年7月)で、同人だった長田三郎の追悼特集をしています。同年2月に亡くなった長田さんへの追悼の文章を池田錬二、増岡敏和、山岡和範、安在孝夫、長谷川七郎ら10名の方が寄せています。
中正敏さんの「羽斑蚊(はまだらか)に襲われ」は、長田さんの詩「燕」の由来について書いています。
   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

羽斑蚊(はまだらか)に襲われ      中正敏

 岩波の『原爆の子』の編集に協力したヒロシマ生まれの詩人長田三郎さんに、初めて神楽坂上の都教育会館でお会いすることができたのは、忘れられぬ出来ごとであった。
 『反戦・詩人のつどい』が開かれるので、金子光晴が名古屋から移ってきて卒業した津久戸小学校の向かいのマンションに住んでいる私は、赤城神社横の会館が近いせいもあって、会場に出かけて行ったところ、長田さんがご自身の作品、「燕」を朗読された。

  つばくろよ
  遠い南の国から 今年も巡ってきたつばくろよ
  きかせておくれ
  南十字星のかがやく異邦(くに)の便りを

 この第一連に始まる作品は、長田さんが一兵士として駆りだされ、また捕虜となったバイアス湾沿岸の戦場の想いでの詩篇である。それは、入江を見おろす丘の斜面に長田さんが遺してきた、青春の墓標でもあるのだろう。
 十五年戦争で、多くの若い人命が失われた。長田さんは辛じて生き帰ることはできたものの、兵営で一緒に労苦を共にしたのにサイパン島に不帰の命を落した人たちへの痛い思いは、拭い去ることができないのが感じられる。

 私のエッセイ集「詩とともに」を読んでおられたのか、表紙に本郷新の「鶏を抱く女」の写真をあしらっていることに触れ、長田さんは「わだつみの会」の会員である旨を告げられた。
 わだつみの像は本郷新が作成したものであり、それを末川博教授が立命のキャンパスに誘致して建立されたものであった。
 「末川博と愛」について私が書いていることも知っておられ、実は長田さんのご尊父長田新さんは末川博と親交のあったことなども、お話くださったのであった。
 それいらい、山本宣治の碑が信州上田の人たちによって守られ再建されたことや、太郎山のある上田が長田さんの、<南風と共に千曲川に渡ってきた燕の声を聞くと、バイアス湾の洞窟で聞いた忘れ得ぬ燕の声を思い出す>日びとなったことなど、上田平和音楽祭のお知らせと共にいただくこととなったのである。
 真に人間の尊さを知った長田さんであった。川口の病院にお見舞いしたとき、声帯を切除されていて、筆談により末川博の思想、言論、表現の自由の闘いを称賛されたのが、強く印象に残っている。

(『稜線』51号 長田三郎追悼 1994.7)

稜線

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