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人間変革について(下)

ここでは、「人間変革について(下)」 に関する記事を紹介しています。
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 こんにち、ニッポンの帝國主義的侵略戦争の結果である、人民のみじめさ、不安、絶望、虚無を、なにか人間ほんらいの本質であるかにすりかえ、そこに実存主義などというものをうちたて、そこからぬけ出ようとする努力をこころみるどころか、むしろ、この不安、絶望、虚無のなかに酔っばらい、ねそべり、その傷ぐちをケントウちがいにほじくることによって、ヒュマニズムを主張するひとびとがある。あるいはまた、傷ついた精神をとりだし、精神が救いなく虚無のなかになげだされていることをなげき、ただ観念的に精神の危機をさけんでいる純粋詩人というひとびともいる。これらのひとびとは、虚無と絶望と、傷ぐちの深さを語るが、それらがほかならぬ侵略吸争の結果であること、天皇制資本主義のもとにおける当然な帰結であることには、ほとんどふれようともしないし、見きわめようともしない。そうしてこれらの古い精神主義者たちは、個性主義者、観念論者たちは、現実をおそれ、現実を見つめようとせず、現実にそっぽを向け、いぜんとして観念のなかをさまよい、うしろ向きの夢想や、やぶれはてた孤独や、まぼろしの世界をうたっている。

 (わたしはここで、告白するが、わたしじしんも、ながいこと、そのような観念の雲のなかをさまよっていた。わたしじしんも、ながいこと、なにか、空中にただよう美を追いもとめ、ことさらに異常をつくりだそうとこころみ、まぼろしのとりことなっていた。そうしてわたしじしんも、死んだうぐいすのむくろを歌ったり、出ぐちのない暗い夜の歌など、うたっていたのであった。そんななかから、わたしをひきだしてくれたのは、敗戦後の人民革命の波の高まりであり、信州の美しい革命的な青年たちが、わたしをニッポン共産党の組織のなかに、みちびきいれてくれ、人民の日常闘争のなかにむすびつけてくれたおかげである。そうして、わたしもようやく自己変革の、自己の再教育の第一歩をふみだしたばかりだ。わたしも、いま、観念論者からマテリアリストへ、リアリストへうつりかわる、その苦しい努力をはじめたばかりだ。)

 くちにヒュマニズムをとなえながら、そのヒュマニズムそのものの名によって、人民解放の政治的闘争をおそれ、こばみ、革命にせなかを向け、革命に悪口をあびせかけるものは、究極において真のヒュマニズムをねがわないものである。これらのひとびとは、そうすることによって、むしろ、人民の解放をおしとどめようとする支配階級に奉仕しているのであり、ヒュマニズムそのものをふみにじっているのである。なぜそうなるのか。これらの小市民的ヒュマニストたちは、すすんで自己を変革しようとはねがわない。社会を変革しようとはねがわない。かれらは、古いサルのしっぽを残した人間でとどまり、その古い人間を、──その飢えやせた「精神」を後生大事にまもろうとしている。
 そこから、かれらの受け身の、うしろ向きのヒュマニズムがでてくる。そこから、かれらの革命にたいする恐怖と嫌悪がでてくる。そこから、政治への不信やあなどりがでてくる。
 しかし、このような古い人間が、「精神」が、受け身のヒュマニズムが、こんどの戦争をとおして、どんなにみじめな姿をさらし、いかに暴力にふみにじられるままにまかせられてきたかを、われわれは身をもって、血をもって、思い知らされてきたはずだ。あの暴力のまえで、あわれな「精神」はいつかドレイ精神にまでなりさがっていたのではなかったか。わたしたちは今こそ、この暴力の正体をみきわめ、ふたたび精神を肉体を、ドレイにしてはならない。この暴力の正体とは、天皇制資本主義にほかならない。しかも、それは今なお、人民解放をくいとめようと、必死にもがいているのである。そうして、この暴力の根もとをなくなさないかぎり、ほんとうの人間精神の解放もありえない。
 じつに、人間解放のためにこそ、わたしたちを古い人間におしとどめておこうとする支配階級をなくなすためにたたかい、ブルジョア社会にゆがめられた自己の古い人間性を、みずから進んで変革しようとする、自発的な熱意だけが、革命をおそれるどころか、革命を自己のものとして、わたしたちを革命のなかへ駆りたて、参加せしめるのである。そうして、このような革命的なヒュマニズムこそこんにち、真のヒュマニズムの名にあたいする。

 「ウ・ナロード!」──四十年のむかしに、タクボクが叫んだこのことばも、革命的実践へ身をもってふみいり、そこから歌いだせ、ということにほかならない。人民の生活のなかへ、根ぶかくふみいり、人民のかなしみを、よろこびを、愛情を、にくしみを、希望を、人民のことばとひびきで歌いだせ、ということにほかならない。そうしてこのことは、すぐまた、このような人足の詩が、どうしても人民的なリアリズムのうえに立つ、ということをもふくんでいる。また、人民だけが何ものをも、おういかくす必要もなく、見せかけの飾りで自分をごまかしたり、むなしいまぼろしのなかに逃げこんだりする必要もなく、だいたんに、卒直に、現実へせまり、現実をえぐりだし、現実のほんとうのすがたを歌いだすことができる。また、人民だけがするどく生産をうたい、新しく、自分の集団をうたい、ほんとうに生きいきとした、未來へつながる人間の美しさを歌うことができるのだ。

 「ウ・ナロード!」──四十年のむかしに、タクボクが叫んだこのことばは、こんにち、いっそう切実なひびきと、ふかい現実的な内容とをふくんで、わたしたちの胸をたたき、わたしたちのこころの底をゆすぶるのである。
(完)

(『歌ごえ』2号 昭和23年4月)

浜






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