FC2ブログ

人間変革について(中)

ここでは、「人間変革について(中)」 に関する記事を紹介しています。
     *

 さて、こんにち、ふたたび問題にされているヒュマニズムの問題も、こんぽん的には、革命の問題にむすびついており、人間変革の問題へとつながっている。

 わたしたちのヒュマニズムの問題は、われわれがまだ「社会的なサル」だという事をはっきり、みとめる事から出発する。「社会的なサル」──近代ドレイから人間を解放し、ほんとうの人間が確立されることこそ、ヒユマニズムのこんぽんの問題である。ほんの少数の、権力や富をもっているひとびとだけが人間であるのではなく、すべての人民が、ほんとうに人間らしい人間になるのでなければならぬ。すべての人民が、サルから人間へと解放されるヒュマニズムこそ、こんにちのヒュマニズムだ。このようなヒュマニズムは、けっしてほかから与えられるものではなく、人民じしんがたたかいとらねばならない。ヒュマニズムの歴史そのものが、血まみれのたたかいだったこと、コペルニクスやガリレオがひどい迫害とたたかって、たたかいとり、うちたててきたことを示している。フランスの「自由・平等・博愛」の、いわゆる「人間権利の宣言」が、たとえブルジョアジイによってよこどりされ、ごまかされ、裏切られたとはいえ、それもまた大革命やパリー・コンミュンの英雄的な戦士たちの血によって支払われたのであった。人間解放のヒュマニズムはつねにたたかいであったし、いまなおたたかわれている。そうしてこのようなヒュマニズムは、とうぜん政治革命とむすびつき、政治もまたヒュマニズムのうらずけによって、はじめてその肉と血をもつのである。

 すべての、真のヒュマニストたちは、政治と文学とをきりはなさなかった。「レ・ミゼラブル」と「海の労働者」のユウゴォがそうだった。パリー・コンミュンのために、いくつかの讃歌をかいたランボオも、詩と政治とをきりはなしては考えなかった。いや、ランボオは、ブルジョアジイにたいする「気ちがいじみた怒りにかりたてられて、」コンミュンの軍隊にくわわろうという、はげしい情熱的な手紙をかきのこしている。かつて、ダダイストとして、またシュルレアリストとして、ブルジョア社会とブルジョア芸術に反抗したアラゴンやエリュアルは、かれらの反抗が、けっきょくブロレタリアートの闘争とむすびつくべきであることを知ったとき、明日の社会と文化がプロレタリアートの肩にになわれることを知ったとき、そうして、てってい的な人間解放のにない手が、プロレタリアートであることを知ったとき、かれらはプロレタリアートのがわに立ち、その陣列にくわわった。アラゴンはフランス共産党に人党し、かつてアナーキーな反抗と絶望をうたったそのくちびるで、こんどは「赤色戦線」をうたい、「パルチザン」をうたい、抗戦をうたった。エリュアルはスペイン人民戦線の英雄的な闘争に、「ゲルニカの勝利」といくつかの美しい詩をささげた。かれらは、人間解放のために、ペンのたたかいを、現実の政治的闘争にむすびつけ、またそうすることによって、詩そのものを、はるか前方へおしすすめることができた。ヒュマニズムの名においてこそ、かれらは政治をおそれることなく、みずから進んで政治のなかにはいって行った。革命家になることが、──革命家であることが、かれらが真のヒュマニスト詩人であることをしめしている。そうして、かれらのなかで、詩人と革命家とが矛盾するどころか、詩人と革命家とが統一されて、はじめて、かれらは革命詩人となることができた。
(つづく)

(『歌ごえ』2号 昭和23年4月)

浜

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/4227-49d01968
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック