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ここに言われている三つの物語のうちのひとつは、後に『地獄の季節』に収められる「悪い血」であるといわれる。それはランボオが抱いていた多くの矛盾、対立から成る散文詩である。「悪い血」の前半の部分にはミシュレの思想の影響がみられる。ランボオは、フランスの大地に深くむすびついたゴール族──あの征服された民族のなかに自分の祖先をみいだし、自分の資質の説明をもそこに見いだしている。(古代ゴール族は紀元前五〇年頃シーザーによって征服された。三世紀には、ゲルマン、西ゴート、ブルグント、フランクなど、諸族の侵略をうけた。)彼は自分の青い眼も、身についた悪徳もゴールから受けついだと考える。また絶えず街道を歩いて行きたいという欲求もゴールに負うていた。彼はあの中世の人びとがおのれのなかに生きているのを感じる……。
「おれはゴール人の祖先から受けついだ、白みがかった青い眼を、狭量な脳味噌を、不器用な闘いぶりを。おれの身なりも彼らのと同様に野蛮だ。しかし、おれは髪にバターなど塗りはしない。
ゴール人は獣の皮を剥ぎ、草を燃やし、当時もっとも無能な人種だった。」
「悪い血」の始めの部分は、ランボオ個人の叙述と見なすよりは、彼が歴史的展望のなかにおのれを位置づけて見ようとした試みと見なすことができる。ランボオは、いままでの自分の生きざまを、たんに彼ひとりだけのものとは考えずに、ひとつの種族から受けついだものだと考える。M・A・リュフの指摘によれば、この始めの部分は、ミシュレの『フランス史』を読んだ思い出によって書かれている。「異教徒の書」という初めの題名や、悪魔(サタン)の喚起も、ミシュレの「魔法使」に負うているという。ミシュレは、ある民族が汎神論と悪魔を手段としてキリスト教とたたかったことを描いている。「おれは林のなかの赤い空地で魔法使の夜宴(サバト)を踊っている。老婆や子供たちといっしょに。」という部分などは、直接ミシュレから借りているようである。ミシュレは「夜宴(サバト)」の章で、「悪魔(サタン)の女司祭はつねに老婆である」と書き「赤い焚き火」で照らされていたといい、「そこには子供たちもいた」と書き加えている。
むろん問題は、この部分の源流をさぐることにはない。問題は、ランボオがここで自分をゴールの祖先にむすびつけていることである。ランボオの生きざまは、「おれはいつも劣等人種だった」という想いに支配されていた。「それはほとんど、ランボオが、その詩的な形式で、自分自身について示したマルクス主義的解明であると言えよう」とM・A・リュフは書いている。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
ここに言われている三つの物語のうちのひとつは、後に『地獄の季節』に収められる「悪い血」であるといわれる。それはランボオが抱いていた多くの矛盾、対立から成る散文詩である。「悪い血」の前半の部分にはミシュレの思想の影響がみられる。ランボオは、フランスの大地に深くむすびついたゴール族──あの征服された民族のなかに自分の祖先をみいだし、自分の資質の説明をもそこに見いだしている。(古代ゴール族は紀元前五〇年頃シーザーによって征服された。三世紀には、ゲルマン、西ゴート、ブルグント、フランクなど、諸族の侵略をうけた。)彼は自分の青い眼も、身についた悪徳もゴールから受けついだと考える。また絶えず街道を歩いて行きたいという欲求もゴールに負うていた。彼はあの中世の人びとがおのれのなかに生きているのを感じる……。
「おれはゴール人の祖先から受けついだ、白みがかった青い眼を、狭量な脳味噌を、不器用な闘いぶりを。おれの身なりも彼らのと同様に野蛮だ。しかし、おれは髪にバターなど塗りはしない。
ゴール人は獣の皮を剥ぎ、草を燃やし、当時もっとも無能な人種だった。」
「悪い血」の始めの部分は、ランボオ個人の叙述と見なすよりは、彼が歴史的展望のなかにおのれを位置づけて見ようとした試みと見なすことができる。ランボオは、いままでの自分の生きざまを、たんに彼ひとりだけのものとは考えずに、ひとつの種族から受けついだものだと考える。M・A・リュフの指摘によれば、この始めの部分は、ミシュレの『フランス史』を読んだ思い出によって書かれている。「異教徒の書」という初めの題名や、悪魔(サタン)の喚起も、ミシュレの「魔法使」に負うているという。ミシュレは、ある民族が汎神論と悪魔を手段としてキリスト教とたたかったことを描いている。「おれは林のなかの赤い空地で魔法使の夜宴(サバト)を踊っている。老婆や子供たちといっしょに。」という部分などは、直接ミシュレから借りているようである。ミシュレは「夜宴(サバト)」の章で、「悪魔(サタン)の女司祭はつねに老婆である」と書き「赤い焚き火」で照らされていたといい、「そこには子供たちもいた」と書き加えている。
むろん問題は、この部分の源流をさぐることにはない。問題は、ランボオがここで自分をゴールの祖先にむすびつけていることである。ランボオの生きざまは、「おれはいつも劣等人種だった」という想いに支配されていた。「それはほとんど、ランボオが、その詩的な形式で、自分自身について示したマルクス主義的解明であると言えよう」とM・A・リュフは書いている。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
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