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ランボオ 「ロンドンへ」5.『イリュミナシオン』の「都市」

ここでは、「ランボオ 「ロンドンへ」5.『イリュミナシオン』の「都市」」 に関する記事を紹介しています。


 この頃、ランボオの詩想は純粋な神秘主義からそれて、唯物論的な主題へとむかっている。『イリュミナシオン』のなかの「都市」のような新しい散文詩形式の作品を書き始めたのもこの頃である。この「都市」で彼は、近代的な産業都市の怖ろしさ、地平線へむかって伸びる街、小さな家が密集している悲惨な郊外などを、異常な巧みさで具象的に描いている。それらの街街のうえを、黒い喪のヴェールのように、ロンドンの霧と煙が覆うている。これらのイメージの喚起はレアリスム風ではないが、その暗示力はたんなる描写をはるかに越えている。とにかくこれらの『イリュミナシオン』の諸作品はイギリスの雰囲気をただよわせていて、フランスで書かれたものとは思われない。しかし日付がないので、いつ頃書かれたのか、はっきり断定することはできない。

 ヴェルレーヌとランボオは、ロンドンのイースト・エンド地区にあった中国人のアヘン窟に出入りしたのではないか。──出入りしたといわれる。アヘンの吸用によって、ランボオの都市感覚に変化が生じた、ともいわれる。彼の都市感覚は建築家のもので、建築家はちがった地層を発見し、都市を切れ切れに見る。あるいは遠近法のない原始絵画(プリミチーフ)におけるように、ちがったいろいろの面がたがいに重なり合っている。いわばピカソのキュビスムを先取りして、それを言葉の世界で実践しているようである。ランボオはそのようにロンドンを描いている。
 「密集した建物によって、辻公園、中庭、閉ざされたテラスから、御者たちは立ちのかされた。公園はすばらしい技術によって造られた原始的な自然をあしらっている。山の手の街区には不思議なところがある。舟のいない水路が、巨大な枝付燭台をならべた河岸のあいだに、青い霰(あられ)の布を押し流している。短い橋がセント・チャッペルのドームの下の裏門にじかに通じている。このドームは、直径およそ一万五千フィートにも及ぶ、芸術的な鋼鉄の骨組である」(「都市」)
 イギリス人のスターキー女史によれば、ここに描かれている風景はそのまま、ロンドンのウエスト・エンド地区、そこにある辻公園、テラス、公園、人造湖などを思い出させるという。
 ところでロンドンにおけるランボオとヴェルレーヌの放浪生活は、ヴェルレーヌの健康と精神上の不安定によって絶えずおびやかされていた。その破局は避けがたいものになっていたのだ。
(この項おわり)

新日本新書『ランボオ』

ランボオ



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