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実践的な真実をこそ

ここでは、「実践的な真実をこそ」 に関する記事を紹介しています。
 実践的な真実をこそ
                    大島博光

詩はただに美をもり込むだけのうつわではない
そうだ それは人間らしく生きてゆく道をこそ
そのたたかいをこそ うたいすすめるものだ
「詩は実践的な真実をめざさなければならない」*

だからそれはまた ひとがその身と心を変え
草むらに蛇が残した白い抜けがらのように
古くしみついたくせや狂いをもぎり捨てて
生れ変って行くその道すじをもうたうことぞ

かつてぼくもくずれる砂の上に書いていた
孤独を歯がみするもののいらだちばかりを
ゆれる水にゆがんで映るおのれの影ばかりを
ぼくも人びとから遠くはなれたナルシスだった。

目ざめた友らが引ったてられ牢にぶち込まれ
黄いろい奇妙な帽子をかむった長靴のやからに
仲間たちが丸太でなぐられ戦場に駆り出され

煮えくり返える叫びを胸に死んで行ったときに

ぼくもまだ この世は愚劣だ無虚だと叫んで
絶望と狂気の身ぶりでこの人生をお茶らかし
その愚劣な世を変えることには眼をつぶって
逃げ出すことばかりを夢みたひとりだった

ぼくもまたほんとうの愛の深い力を知らずに
愛の喜劇を恥しらずにも闇の中へさがしに行き
おろかな沼に落ちこんで若さをむだ使いにし
おのれを泥に変え ひとに泥水を飲ませるばかり

砂っ原のひと粒の砂のようなひとりぼっちの男を
泉の方へ兄弟たちの方へと連れもどしてくれる
根なし草を根ざす大地へとみちびいてくれる
あの大きな愛を知らぬ詩人たちのひとりだった

柿や落葉松がその立っている大地を忘れぬのに
ぼくらが根をおろさずにいられぬ祖国の土を
ぼくらを育て生きさせてくれたははのくにを
その兄弟たちを忘れはてていられるだろうか

その背なかに泣きさけぶ子どもも背おわず
ひかりも重荷もせおわぬ うつろな言葉で
かつてのぼくがものしたもやのような詩は
ただ読むひとの眼をくらますだけではない

そのとき、ぼくはその詩のなかでもやのなかで
桑の枯枝にぶらさがった尺とり虫のように
おのれの素顔や姿をもくらましていたのだ
ひとの眼をひらかせることこそが詩の役目なのに

そしてぼくも よその家によばれた客のように
窓わくの中の 煙が吹きちぎれる風景などを
ただ横わきの壁にもたれて眺めるばかりで
けっして一人称では語らぬ詩人のひとりだった

犬どもがかぎつけて吟えたてるのを恐れてか
「ぼくは」と決して一人称では語らぬ詩人は
かれもまたおのれの姿をくらましているのだ
そのときそれを客観とはよくも言ったものだ

「ぼくは」と一人称ではけっして語らぬ詩人は
燃えさかる火事場の煙を見ながら叫ぼうともせず
ましておのれをまもる窓わくをぶち破って
火のなかの子どもたちを救い出しには行かぬのだ

そればかりかぼくも大きな敵から眼をそらし
小さなごみ箱の髪くずやげろなどをほじくり出し
おのれのゆがみ狂いを 夜のがらくた市へ
高値に売りつけに行こうとしたひとりだった

またぼくもほんとうの敵への憎しみを歌わずに
また仲間うちの歌いすすんだ点を見とらずに
その小さなきずや灰汁ばかりをあげつらう
あのあまんじゃくのやからのひとりだった

ぼくもまた地べたを這いまわって泥をこねあげ
もう大地を現実を抱きとったとうぬぼれて
遠い地平にやってきた春を夢みるひとを
あまっちょろい奴だとあざ笑ったひとりだった

だが横わきの高みから眺めとられたものは
ひとかけらの現実の皮か殼にすぎなかろう
みずから身を起こし手に血をにじませぬなら
とらえた真実も詩のなかで息吹かぬだろう

みずからのはらわたをよじり震わせぬものに
のどを突き上げる叫びをみずからおし殺すものに
どうしてひとのこころの共鳴りを呼び起こし
その詩をうたう武器に変えることができよう

詩はただに美をもり込むだけのうつわではない
そうだ それは人間らしく生きてゆく道をこそ
そのたたかいをこそ うたいすすめるものだ
「詩は実践的な真実をめざさなければならない」

* 「詩は実践的な真実をめざさなければならない」はロートレアモンの言葉

(『現実と文学』10号 1962年6月1日 現実と文学社)
*『現実と文学』はリアリズム研究会の機関誌。リアリズム研究会は民主主義文学同盟の前身にあたる。

雲





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