『イリュミナシオン』について
散文詩集『イリュミナシオン』が書かれた日付については多くの議論があり、『地獄の季節』の前とするものもあり、後とするものもあり、この問題だけに一章をささげている論者もいる。
一八八六年、『イリュミナシオン』の初版本を刊行した時ヴェルレーヌは書いている。
「われわれがいま世におくるこの書は、一八七三年から一八七五年にかけて、ベルギー及びイギリスへの旅行中に、そしてまたドイツにおいて書かれた」
一八七二年九月から十二月まで、一八七三年五月から七月初めまで、ランボオはヴェルレーヌといっしょにロンドンで過ごしている。そのあいだ、『地獄の季節』と並行して、『イリュミナシオン』のいくつかの作品も書かれた。
また一八七四年には詩人ジェルマン・ヌーボオといっしょにロンドンに滞在している。その時ランボオはふたたび詩を書き始め、ヌーボオはいくつかの作品の一部分、「都市」の始めとか、「メトロポリタン」の終りの部分とかをコッピイしてランボオを助けている。ヌーボオの筆蹟によってそれが証明されているのである。
イリュミナシオンという題名の意味そのものも、ヴェルレーヌの言葉を認めるか否かによってちがってくる。ヴェルレーヌによれば、Illuminationという語は、英語で「色刷り版画」coloured platesを意味するという。
『イリュミナシオン』をよくみると、そこにはいろいろちがった主題、詩想のあることがわかる。「精(ジェニイ)」「ある理性に」のように、希望に輝いた楽天的な詩とならんで、苦悩にみちた暗鬱な詩があり、幻覚幻影にみちた詩があると思えば、「橋」「都市」「岬」のように、明らかに叙述的な性格をもった詩があり、そこにはまた旅の思い出、放浪の思い出が反映している。それは恐らく、それらの詩がちがった時期に書かれたことを物語っているのである。
『イリュミナシオン』にみられる奇抜なイメージ、幻覚幻視は、多くの批評家たちの長い形而上学的饒舌の対象となっている。
ランボオの幻覚幻視についてみると、彼が長いこと幻覚を得るために自ら訓練し、鍛(きた)えて、因襲や習慣の束縛から詩と精神を解放しようとしたことを忘れてはならない。ドゥラエによれば、彼は一八七〇年にこう書いた。
「なんと骨の折れることだろう! 頭のなかのすべてを破壊しすべてを消しさるのは! ああ、野の隅に捨てられ、野放図に育てられ、先生や家族に教えこまれた、どんな考えもなしに大人の年になるような子供は幸せだ……」
ランボオじしんその「野放図に育てられた子供」であり、つねに「教えこまれた考え」慣習、因襲にたいする反抗者であった。
『イリュミナシオン』の冒頭の詩を見てみよう。
(「大洪水の後」につづく)
(新日本新書『ランボオ』)
散文詩集『イリュミナシオン』が書かれた日付については多くの議論があり、『地獄の季節』の前とするものもあり、後とするものもあり、この問題だけに一章をささげている論者もいる。
一八八六年、『イリュミナシオン』の初版本を刊行した時ヴェルレーヌは書いている。
「われわれがいま世におくるこの書は、一八七三年から一八七五年にかけて、ベルギー及びイギリスへの旅行中に、そしてまたドイツにおいて書かれた」
一八七二年九月から十二月まで、一八七三年五月から七月初めまで、ランボオはヴェルレーヌといっしょにロンドンで過ごしている。そのあいだ、『地獄の季節』と並行して、『イリュミナシオン』のいくつかの作品も書かれた。
また一八七四年には詩人ジェルマン・ヌーボオといっしょにロンドンに滞在している。その時ランボオはふたたび詩を書き始め、ヌーボオはいくつかの作品の一部分、「都市」の始めとか、「メトロポリタン」の終りの部分とかをコッピイしてランボオを助けている。ヌーボオの筆蹟によってそれが証明されているのである。
イリュミナシオンという題名の意味そのものも、ヴェルレーヌの言葉を認めるか否かによってちがってくる。ヴェルレーヌによれば、Illuminationという語は、英語で「色刷り版画」coloured platesを意味するという。
『イリュミナシオン』をよくみると、そこにはいろいろちがった主題、詩想のあることがわかる。「精(ジェニイ)」「ある理性に」のように、希望に輝いた楽天的な詩とならんで、苦悩にみちた暗鬱な詩があり、幻覚幻影にみちた詩があると思えば、「橋」「都市」「岬」のように、明らかに叙述的な性格をもった詩があり、そこにはまた旅の思い出、放浪の思い出が反映している。それは恐らく、それらの詩がちがった時期に書かれたことを物語っているのである。
『イリュミナシオン』にみられる奇抜なイメージ、幻覚幻視は、多くの批評家たちの長い形而上学的饒舌の対象となっている。
ランボオの幻覚幻視についてみると、彼が長いこと幻覚を得るために自ら訓練し、鍛(きた)えて、因襲や習慣の束縛から詩と精神を解放しようとしたことを忘れてはならない。ドゥラエによれば、彼は一八七〇年にこう書いた。
「なんと骨の折れることだろう! 頭のなかのすべてを破壊しすべてを消しさるのは! ああ、野の隅に捨てられ、野放図に育てられ、先生や家族に教えこまれた、どんな考えもなしに大人の年になるような子供は幸せだ……」
ランボオじしんその「野放図に育てられた子供」であり、つねに「教えこまれた考え」慣習、因襲にたいする反抗者であった。
『イリュミナシオン』の冒頭の詩を見てみよう。
(「大洪水の後」につづく)
(新日本新書『ランボオ』)
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