(2)
しかし彼女が最初に見たランボオは?──そのときの彼に似ているような有名な人物を、彼女はひとりとして思い浮べることはできなかった。こういう人物は大通り(ブルバール)のベンチの上で見かけるだけである。いままで一度も、こういうたぐいの市民が彼女の邸宅を訪れたことはなかった。ランボオの訪問は最初の瞬間から災難だったのである。
そのときのランボオの肖像を、マチルデは『回想録』のなかにきわめてリアルに描いている。
「それは赤ら顔の、背の高い、がっしりとした少年であり、百姓であった。彼は急に大きくなりすぎた若い高校生のようだった。というのは、彼は短いズボンをはいていて、母親の編んだ青い木綿の靴下が見えていたからである。髪はぼうぼうとのばし、紐(ひも)のようによれよれのネクタイをしめて、ぞんざいな身なり。眼は青く、かなり美しかったが、その眼には陰険な表情があった。わたしたちは寛大にも、それを内気のせいだと思っていた。……荷物もなく、鞄ひとつ持たず、下着もなく、着ているもののほかは衣服もない……この田舎者をポール(ヴェルレーヌ)はどうしようというのだろう?……」
のちにファンタン・ラトゥールは、パルナシアンの詩人群像「テーブルの一隅」に肘をついて顎を手でささえている俊敏なランボオ像を描いているが、それにマチルドの描写を重ねるなら、パリに出た頃のランボオの姿がほうふつとして見えてくるだろう。
さて、モーテ夫人の客間(サロン)にもどろう。ランボオは自分が相手に与えた印象をほとんど動物的な感覚で読みとった。モーテ夫人と娘の垢(あか)ぬけした都会風な応対の背後に、彼は敵意をみてとった。彼はむっつりとして、倣慢さのうしろにその感情をかくすほかはなかった。
ヴェルレーヌは友人のシャルル・クロといっしょに東駅へランボオを迎えに行ったが、列車が着いても彼が見つからなかった。家に帰ってみると、義母と妻とが見知らぬ少年の応対にこれつとめているところだった。サロンに坐っている腕白小僧を見て、ヴェルレーヌもまた茫然とした。アルデンヌから手紙を書いてよこした相手を、二十歳(はたち)を越えたくらいのちがった男に想像していたからである。この天使のような眼をした少年が「パリのどんちゃん騒ぎ」や「最初の聖体拝受」のような詩を書いてきた人物とは想像もつかなかったのだ。いま彼の前にいるのは、ざんばら髪で、黙りこんで、しぐさもぎこちない不器用な未成年者であった。しかしその眼は、ヴェルレーヌがかつて見たこともない、生きいきとした光を放って、「天使の眼のように」清らかだった。
最初の夕食はさんざんなものであった。二人の婦人の華やかな、うわべだけの会話にランボオはおじけついてしまう。それに彼は女たちのつきあいに慣れていなかった。田舎や家族のことを訊かれても、彼はどぎまぎして答えられない。ランボオは疲れて苛いらして、すっかり黙りこんでしまう。彼はみんなに無愛想で気難しい性格だという印象を与える。しかしランボオは実際のところ深い幻滅を感じてがっかりしていたのだ。食事が終わると、旅で疲れたと言って、彼はさっさと寝室にはいってしまった。──ランボオの方もまたヴェルレーヌをもっとちがった人物に思い描いていた。詩人ともあろうものが、どうしてこんなブルジョワ的な環境となんの変哲もない家族のなかに生きていられるのか。「火の盗人」たる詩人が、どうしてこんな雰囲気と束縛に甘んじていられるのか。このときからランボオは、ヴェルレーヌをこの環境から救いだし、彼の真の偉大さを彼に思い知らせてやろうと決意する。
そのうちに、モーテ氏が狩りから帰ってきた。この偉丈夫はさっそく家長の威厳をもって問題の解決に移る。もう一瞬たりとも闖入(ちんにゅう)者が家にとどまることを許さないと言って、歓迎されざる客のために、即刻ほかの住居を探すよう、娘婿に命じた。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
しかし彼女が最初に見たランボオは?──そのときの彼に似ているような有名な人物を、彼女はひとりとして思い浮べることはできなかった。こういう人物は大通り(ブルバール)のベンチの上で見かけるだけである。いままで一度も、こういうたぐいの市民が彼女の邸宅を訪れたことはなかった。ランボオの訪問は最初の瞬間から災難だったのである。
そのときのランボオの肖像を、マチルデは『回想録』のなかにきわめてリアルに描いている。
「それは赤ら顔の、背の高い、がっしりとした少年であり、百姓であった。彼は急に大きくなりすぎた若い高校生のようだった。というのは、彼は短いズボンをはいていて、母親の編んだ青い木綿の靴下が見えていたからである。髪はぼうぼうとのばし、紐(ひも)のようによれよれのネクタイをしめて、ぞんざいな身なり。眼は青く、かなり美しかったが、その眼には陰険な表情があった。わたしたちは寛大にも、それを内気のせいだと思っていた。……荷物もなく、鞄ひとつ持たず、下着もなく、着ているもののほかは衣服もない……この田舎者をポール(ヴェルレーヌ)はどうしようというのだろう?……」
のちにファンタン・ラトゥールは、パルナシアンの詩人群像「テーブルの一隅」に肘をついて顎を手でささえている俊敏なランボオ像を描いているが、それにマチルドの描写を重ねるなら、パリに出た頃のランボオの姿がほうふつとして見えてくるだろう。
さて、モーテ夫人の客間(サロン)にもどろう。ランボオは自分が相手に与えた印象をほとんど動物的な感覚で読みとった。モーテ夫人と娘の垢(あか)ぬけした都会風な応対の背後に、彼は敵意をみてとった。彼はむっつりとして、倣慢さのうしろにその感情をかくすほかはなかった。
ヴェルレーヌは友人のシャルル・クロといっしょに東駅へランボオを迎えに行ったが、列車が着いても彼が見つからなかった。家に帰ってみると、義母と妻とが見知らぬ少年の応対にこれつとめているところだった。サロンに坐っている腕白小僧を見て、ヴェルレーヌもまた茫然とした。アルデンヌから手紙を書いてよこした相手を、二十歳(はたち)を越えたくらいのちがった男に想像していたからである。この天使のような眼をした少年が「パリのどんちゃん騒ぎ」や「最初の聖体拝受」のような詩を書いてきた人物とは想像もつかなかったのだ。いま彼の前にいるのは、ざんばら髪で、黙りこんで、しぐさもぎこちない不器用な未成年者であった。しかしその眼は、ヴェルレーヌがかつて見たこともない、生きいきとした光を放って、「天使の眼のように」清らかだった。
最初の夕食はさんざんなものであった。二人の婦人の華やかな、うわべだけの会話にランボオはおじけついてしまう。それに彼は女たちのつきあいに慣れていなかった。田舎や家族のことを訊かれても、彼はどぎまぎして答えられない。ランボオは疲れて苛いらして、すっかり黙りこんでしまう。彼はみんなに無愛想で気難しい性格だという印象を与える。しかしランボオは実際のところ深い幻滅を感じてがっかりしていたのだ。食事が終わると、旅で疲れたと言って、彼はさっさと寝室にはいってしまった。──ランボオの方もまたヴェルレーヌをもっとちがった人物に思い描いていた。詩人ともあろうものが、どうしてこんなブルジョワ的な環境となんの変哲もない家族のなかに生きていられるのか。「火の盗人」たる詩人が、どうしてこんな雰囲気と束縛に甘んじていられるのか。このときからランボオは、ヴェルレーヌをこの環境から救いだし、彼の真の偉大さを彼に思い知らせてやろうと決意する。
そのうちに、モーテ氏が狩りから帰ってきた。この偉丈夫はさっそく家長の威厳をもって問題の解決に移る。もう一瞬たりとも闖入(ちんにゅう)者が家にとどまることを許さないと言って、歓迎されざる客のために、即刻ほかの住居を探すよう、娘婿に命じた。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
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