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「酔いどれ船」について (4) 狼狂(リカントロピー)

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(4) 狼狂(リカントロピー)

 ここで、「酔いどれ船」が書かれた背景、事情を説明するものとして、マルク・ドゥルーズMarc Delouzeのつぎのようなことばを引用しておこう。
 「ランボオ──それは無為懶惰(らんだ)の反対である。それは言葉でいわれた行動である。それから、敗北した後には、それは生きられた言葉となるだろう。それは十九世紀のもっとも本質的なストライキ──言語によるストライキとなるだろう。言葉に手錠がはめられ、賃金が締付けられるような時代にあって、ブルジョワジーがおのれの利潤にたいするあらゆる打撃を拒否するとき、労働者が自分の要求を通すためには、もはやストライキしか残っていない。ブルジョワ・イデオロギーが、おのれの道徳にたいする、したがっておのれの言語にたいする、あらゆる打撃を拒否するとき、詩人にはもはやおのれの反抗を叫ぶおのれの生しか残っていない。これが、彼の意識的な態度でないとしても、ランボオの事情なのである。」(『ウーロップ』誌一九七三年三─六月号「ランボオの三つの美しきR」)
 こういうランボオが、ヴェルレーヌに招かれて、「酔いどれ船」を名刺がわりに持って、戒厳令の布かれているパリへと向かうことになる……。

 パリへ行く前のランボオに宛てた、一八七一年九月のヴェルレーヌの手紙にはつぎのような言葉がある。
 「ぼくにもきみの狼狂(リカントロピー)のごときものが少しはある……」
 これは重要な言葉で、その後始まる二人の物語の秘かな部分を明らかにするものである。狼狂(リカントロピー)とは、ジョルジュ・ゼイエによれば、「何よりもまず、社会的不適応者による社会にたいする反抗である。不適応者は社会を愚劣なものと判断してあらゆる非難を浴びせる。」またリトレの辞書はつぎのように定義する。「精神病の一種であって、患者は自分が狼になったと信じこむ。」したがって、ヴェルレーヌの予感はまちがっていなかった。彼は狼狂(リカントロープ)たちにたいする共感をかくしていない。彼はランボオと会う前に、すでにその共犯者だったのである。そして二十世紀になると、シュルレアリストのアラゴンたちが、この狼狂(リカントロピー)の伝統をうけつぐことになる。
(この項おわり)

新日本新書『ランボオ』

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