(3)
一八四八年の二月革命敗北後のボードレールのように、コミューヌの敗北後、ランボオは行動を放棄し「政治から脱け出る」ことになる。しかし彼は、勝利したブルジョワの側にはすり寄らない。「酔いどれ船」の最後の詩節には、「木綿船」──近代資本主義への訣別が歌われ、勝ち誇るブルジョワの「旗と炎のなかを よぎり突っきってゆく」ことを断念し、
また 囚人船の怖るべき眼の下を泳いでゆくのも
と冷酷な弾圧の恐怖をほのめかすことによって、この詩は結ばれている。
このようなブルジョワ社会にたいする拒否、否定こそが、酔いどれ船がながい彷徨ののちにたどりついた港でない港なのである。荒れ狂う海に疲れた酔いどれ船は、静かな「森のなかの暗い冷たい水溜り」をなつかしく思い出し、そこに軽やかに浮かんだ「五月の蝶のような笹舟」をなつかしむ。しかし反抗に酔った酔いどれ船は、もはや水溜りのうえの笹舟ではありえない。そこから酔いどれ船の最後の倦怠と拒否が生まれてくる。彼はおのれの生きた社会のあらゆる労働を拒否し、侮蔑する。ランボオは、「腐った怪獣レヴィアタン」──ブルジョワ社会の腐敗、虚偽、低劣さに耐えられなかったのだ。
「酔いどれ船」を書いてから数年後、ランボオは実際にヨーロッパへ別れを告げてアフリカの砂漠へ行ってしまうのだが、この詩はそのようなヨーロッパのブルジョワ社会への訣別をうたうと同時に、詩人じしんの運命をもみごとに予言することになる。
「酔いどれ船」において、ランボオは五月に練りあげたばかりの「見者」の詩学を適用している。──「言葉は、香り、音、色彩、すべてを要約して魂から魂へ通ずるものとなろう……」詩人はここで、古い詩的スタイル、詩的慣例とは公然と手を切って、この詩学の方向にむかう。こうして驚くべき異常なイメージ、眼のくらむような渦巻、色彩の交響曲がかなでられる。それはランボオ研究者の一大佐をして恐怖の叫びを挙げさせたほどである。
「なんたる幻覚!……なんたる狂気の沙汰!……なんたる非常識さ加減!……」
しかし、それら荒れ狂う海の驚くべきイメージや異常な暗喩をとおして歌われている「酔いどれ船」の世界は、屈折した詩人の意識と表現をとおしての現実世界の反映であり、その現実世界に生きて苦闘した詩人の内面生活の反映である。「犠牲たちを永遠にゆさぶり運ぶ」海、水死者たちの流れてゆくあの荒れ狂う海は、パリ・コミューヌの嵐の反映以外のものではありえないだろう。
したがってその時代の状況の、遠い屈折したこだまをそこにききとることができる。そのことはむろん、この詩がパリ・コミューヌという大状況を越えて、遠い射程をもつことを否定するものではない。そしてここにこそ、現実生活から遊離して、非情(アンバシビリテ)を誇ったパルナッス派や象徴派の詩人たちとランボオとの決定的な違いがある。一般に文学史の上ではランボオはマラルメやヴェルレーヌとともに象徴派の詩人として区分けされているが、彼らとはまったく別の世界に彼は生きていた。いわば、ランボオはその時代の矛盾を一身に背負って生きたともいえよう。ランボオにエゴイスムがないのは、その点にかかっている。おのれを歌いながら、彼がうたっているのは小我ではなく大我であるからだ。そこにまたランボオの色あせない現代性がある。「絶対に現代的(モデルン)でなければならぬ」と言ったのも彼にほかならない。
したがって、「酔いどれ船」をたんなるロマンティックな夢想とみなしたり、パルナシアンの詩の一模倣作品とみなすことは大きな誤りであろう。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
一八四八年の二月革命敗北後のボードレールのように、コミューヌの敗北後、ランボオは行動を放棄し「政治から脱け出る」ことになる。しかし彼は、勝利したブルジョワの側にはすり寄らない。「酔いどれ船」の最後の詩節には、「木綿船」──近代資本主義への訣別が歌われ、勝ち誇るブルジョワの「旗と炎のなかを よぎり突っきってゆく」ことを断念し、
また 囚人船の怖るべき眼の下を泳いでゆくのも
と冷酷な弾圧の恐怖をほのめかすことによって、この詩は結ばれている。
このようなブルジョワ社会にたいする拒否、否定こそが、酔いどれ船がながい彷徨ののちにたどりついた港でない港なのである。荒れ狂う海に疲れた酔いどれ船は、静かな「森のなかの暗い冷たい水溜り」をなつかしく思い出し、そこに軽やかに浮かんだ「五月の蝶のような笹舟」をなつかしむ。しかし反抗に酔った酔いどれ船は、もはや水溜りのうえの笹舟ではありえない。そこから酔いどれ船の最後の倦怠と拒否が生まれてくる。彼はおのれの生きた社会のあらゆる労働を拒否し、侮蔑する。ランボオは、「腐った怪獣レヴィアタン」──ブルジョワ社会の腐敗、虚偽、低劣さに耐えられなかったのだ。
「酔いどれ船」を書いてから数年後、ランボオは実際にヨーロッパへ別れを告げてアフリカの砂漠へ行ってしまうのだが、この詩はそのようなヨーロッパのブルジョワ社会への訣別をうたうと同時に、詩人じしんの運命をもみごとに予言することになる。
「酔いどれ船」において、ランボオは五月に練りあげたばかりの「見者」の詩学を適用している。──「言葉は、香り、音、色彩、すべてを要約して魂から魂へ通ずるものとなろう……」詩人はここで、古い詩的スタイル、詩的慣例とは公然と手を切って、この詩学の方向にむかう。こうして驚くべき異常なイメージ、眼のくらむような渦巻、色彩の交響曲がかなでられる。それはランボオ研究者の一大佐をして恐怖の叫びを挙げさせたほどである。
「なんたる幻覚!……なんたる狂気の沙汰!……なんたる非常識さ加減!……」
しかし、それら荒れ狂う海の驚くべきイメージや異常な暗喩をとおして歌われている「酔いどれ船」の世界は、屈折した詩人の意識と表現をとおしての現実世界の反映であり、その現実世界に生きて苦闘した詩人の内面生活の反映である。「犠牲たちを永遠にゆさぶり運ぶ」海、水死者たちの流れてゆくあの荒れ狂う海は、パリ・コミューヌの嵐の反映以外のものではありえないだろう。
したがってその時代の状況の、遠い屈折したこだまをそこにききとることができる。そのことはむろん、この詩がパリ・コミューヌという大状況を越えて、遠い射程をもつことを否定するものではない。そしてここにこそ、現実生活から遊離して、非情(アンバシビリテ)を誇ったパルナッス派や象徴派の詩人たちとランボオとの決定的な違いがある。一般に文学史の上ではランボオはマラルメやヴェルレーヌとともに象徴派の詩人として区分けされているが、彼らとはまったく別の世界に彼は生きていた。いわば、ランボオはその時代の矛盾を一身に背負って生きたともいえよう。ランボオにエゴイスムがないのは、その点にかかっている。おのれを歌いながら、彼がうたっているのは小我ではなく大我であるからだ。そこにまたランボオの色あせない現代性がある。「絶対に現代的(モデルン)でなければならぬ」と言ったのも彼にほかならない。
したがって、「酔いどれ船」をたんなるロマンティックな夢想とみなしたり、パルナシアンの詩の一模倣作品とみなすことは大きな誤りであろう。
(つづく)
(新日本新書『ランボオ』)
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