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コミューヌが敗北して (1)

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コミューヌが敗北して

 わたしはパリとおぼしい方角の空を見る。赤い雲を浮かべた、抜けるような青空だ。まるで血に漬かった大きな菜っ葉服のようだ。
           ──ジュール・ヴァレーズ『蜂起者たち』

(1)
 パリ・コミューヌが敗北して、ランボオに何が起きたか。当時のフランスの多くの若者たちと同じように、彼もコミューヌに託した大きな希望が無残にも崩れ去ったのを苦々しく感じ、その絶望に痛々しく耐える。(フランスの十九世紀の若者たちは、一八三〇年の七月革命、一八四八年の二月革命および労働者の六月反乱の弾圧、そして一八七一年のパリ・コミューヌの敗北によって、相ついでその心に深い傷手をうけたのだった。)完全に追い払ったと思っていたあの連中──職業的政治屋、たらふく喰べている貴族、牧師、資本家、軍人、サロンの貴婦人、ぺてん師どもが、ふたたび権力につくのを彼は見る。また、コミューヌの嵐のあいだ、穴倉にかくれていたシャルルヴィルのブルジョワどもが、その穴倉から出てきて、安堵の胸をなでおろして大笑するのを聞いたとき、どんなにランボオの胸は怒りに顕えたことだろう。──コミューヌをやっつけた人殺しどもは、おれたちの町にもいるのだ……。
 コミューヌのあいだ、たとえ彼はその戦闘に参加しなかったとはいえ、彼はコミューヌについて多く考え、想いを馳せ、コミューヌ戦士と闘うパリをほめたたえる詩を熱狂をもって書いた。しかし、歴史の残酷さによって、彼の潜在的なすべての友人たち──彼の読者となり聴衆なるべき人たちはブルジョワジーによって大量に殺されてしまった。それ以来、ブルジョワジーによる独占的な支配がつづき、その後永年にわたって労働者階級は抑えつけられ、フランスは激しい憎悪によって相対立する二つの陣営にひき裂かれる……。

 ナポレオン三世のクーデターののち、一八五二年三月、ボードレールはひとりの友人に書いた。「十二月二日はわたしを物理的に政治から引き離した」と。
 コミューヌの崩壊は、おなじような作用をランボオにおよぼすことになる。コミューヌにたいする熱狂を高らかに歌った後、彼はそれ以来、「魂から魂へ」と語りかけるようになり、遠まわしにしか話さなくなる。コミューヌへの弾圧以来、戒厳令がしかれていたことも考慮に入れなければならない。その後の彼の詩をもっぱら神秘主義、オカルティスムの所産とみなす批評家が多い。むろんそういう側面のあることを否定するものではないが、コミューヌ敗北後のランボオの詩作品を神秘主義、オカルティスムだけによって説明しようとするのは大きな偏向でありあやまりでもあろう。ランボオはみずからそれを「わが狂気の沙汰」と呼んでいる。なぜ彼がその狂気の沙汰を演じるにいたったかを追求することが問題であろう。
 ランボオは、コミューヌの世代が味わった深い絶望、精神的混乱から脱けだすために、まちがった解決法をふくめてあらゆる解決法をまじめに一生懸命に試みるようになる。彼は深い絶望を感じたからこそ、全力をあげてそれに立ち向かったのである。ランボオのすばらしさはそこにある。
 したがって、コミューヌ敗北後の数年にわたるその詩作期間をとおして、コミューヌ体験はランボオの意識から、あるいは記憶から、その影を消しさることはなかったといえよう。コミューヌ体験の反映は、「地獄の季節」のなかにも現われずにはいないだろう。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

さるすべり


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