「パリのどんちゃん騒ぎ」
一八七一年五月、ランボオはコミュナールとしての熱情と怒りをこめて、最後の革命的な詩「パリのどんちゃん騒ぎ――或いは再び賑わいに返るパリ」を書く。コミューヌの騒ぎが収まると、ヴェルサイユやサン・ドニに逃げていた大ブルジョワたちがパリに戻ってきて、どんちゃん騒ぎをくりひろげる。その状況とブルジョワたちの退廃ぶりを、ランボオは、「聖なるパリ」との対比のうちに、描き出している。
パリのどんちゃん騒ぎ
或いは再び賑わいに返るパリ
おお臆病者ども さあパリだ! 駅へなだれ込め!
一夜「野蛮人ども(注1)」が埋めた その大通り(ブルバール)を
太陽は その熱い息吹きで 拭いかわかした
おお 西方に鎮座した 聖なる都 パリ!
さあ 戦火が鎮まって われ先にと戻ってくる
そら むかしどおりの河岸(かし)だ そら 大通り(ブルバール)だ
そら 軽やかな青空を背に かがやく家々だ
一夜 花火のような 赤い砲火を浴びた家々だ
崩れ落ちた宮殿など 板張り小屋に隠してしまえ!
おまえらの眼は かつての恐怖の日からよみがえる
見ろ 腰をくねらせてゆく 赤毛の女たちの群を
さあ 浮かれろ 眼を血走らせて 阿呆になれ!
脂肉(あぶらにく)など食ってる さかりのついた牝犬ども
金塗りの家々から上る叫びが おまえらをそそのかす
盗め! 喰(くら)え! いまや身もしびれる歓楽の夜が
街に降りてくるのだ おお 哀れな飲んだくれども
……………………
おお 汚らわしい奴ら ぞっとする恐ろしい口ども
もっと烈しく動きまわれ 悪臭を放つ口ども
もっと酒を この下司な酔いどれどものテーブルに...
おお 征服者ども(注2) おまえらの腹は 汚辱でいっぱいだ
……………………
梅毒病みに 道化ども 王公貴族に その手先ども
また腹話術など使う奴 おまえらの精神と肉体で
おまえらの毒やぼろで 娼婦パリに 何ができよう?
腐った悪党ども パリはおまえらをはじき出すだろう
おまえらが死んだような 脇腹 臓腑(はらわた)に呻きながら
無我夢中に金を叫びためながら ぶっ倒れるとき
戦闘で 胸ふくらんだ 赤い娼婦 パリは
しびれたおまえらをしりめに 堅い拳(こぶし)を握りしめるのだ
おお 苦しみもがく首都 息も絶えだえの首都よ
その頭と 二つの乳房を 「未来」の方に向けて
蒼ざめた身に 無数の城門をひらいた首都よ
暗い「過去」が おんみを祝福してもくれよう
とてつもない苦しみゆえに 魅力もつ 身よ
おんみはまた 怖るべき生をのみこんでしまう
おんみの身ぬちには 蒼白い蛆虫どもが湧きいで
おんみの 明るい愛の上を 氷のような指がうろつく
だがそれも悪くはない 蛆虫も 蒼白い蛆虫も
おんみの「進歩」の息吹きを止めることはできまい
あの青い高みから 星のような金の涙を流す
「女像柱(カリアチイド 注3)」の眼の光を消した「吸血鬼」と同じように
そんな態(てい)たらくのおんみは 見るも怖ろしいとはいえ
緑の「自然」にかくも悪臭を放つ潰瘍(かいよう)が かつて
ひとつの都市につくられたことはなかったとはいえ
詩人は歌うのだ 「おんみの美しさはすばらしい!」と
嵐は おんみを 至高の詩へと 清め高めた
動きうごめく はてしもない力が おんみを救う
労働が湧きたち 死が呻きをあげる 選ばれた首都よ
重いラッパのなかに 鋭い叫びを 吹きこめろ
詩人は聞きとるだろう 「不逞の輩(やから)」の呻き声を
「徒刑囚」の憎しみを 「呪われた者」の叫び声を
詩人の 愛のひかりは 「女たち」をむちうち
その歌は弾(はず)むだろう 見ろ 見ろ この悪党どもを
世の中はすべてもとに戻り──むかしの淫売宿に
むかしどおりのどんちゃん騒ぎが おっ始(ぱじ)まる
ガス燈が 熱にうかされたように不気味に燃える
赤く血に染った城壁に 蒼ざめた空にむかって!
一八七一年五月
注1「野蛮人ども」が埋めた――ドイツ軍によるパリ占領を指す。
注2「征服者どち」――「血の週間」の銃殺者どもを皮肉ったもの。
注3「女像柱」――ギリシャ人は、ペルシャにくみしたカリュアイを攻めて、男たちを殺し、女たちを奴隷に
したうえ、さらに伝えるために、重荷を背負う暗罪の女像を大理石柱に刻んで、このような女像柱をカリアチイドと呼んだという。ここでは、コミューヌのために戦ったパリの女たちを指すのか。ある批評家は、カリアチイドは古代文化の象徴であるとしている。
この詩は一八七一年八月ヴェルレーヌに送られたものの一つであるが、そこから見てもランボオの自信作であったと思われる。
この詩は一般に「パリ戦争の歌」のあとに置かれていて、ヴェルサイユ軍の勝利を扱ったものとされている。しかしM・A・リュフの指摘によれば、この詩はコミューヌの翌日を描いたものではなく、ランボオが見た普仏戦争末期のパリを描いたものだという。そのときもヴェルサイユやサン・ド二へ避難していたブルジョワたちがパリへ戻ってきたのである。そういう細かい点はとにかくとして、ここでランボオが保守的なブルジョワたちの頽廃ぶりを痛烈に罵倒していることは間違いない。
この詩では、パリの都市はコミュナールたちになじみ深い暗喩にしたがって、ひとりの女性の姿のもとに描かれていて、パリはその顔を「未来の方に」向けている。だがヴェルサイユの大ブルジョワどもが帰ってきて、またしてもパリを腐敗と堕落のなかへ突き落すのである。
梅毒病みに 道化ども 王公貴族に その手先ども/また腹話術など使う奴 おまえらの精神と肉体で/おまえらの毒やぼろで 娼婦パリに何ができよう?/腐った悪党ども パリはおまえらをはじき出すだろう
しかし詩人の希望と夢はかなえられず、世界は変らなかった。
世の中はすべてもとに戻りーむかしの淫売宿に/むかしどおりのどんちゃん騒ぎがおっ始まる/ガス燈が熱にうかされたように不気味に燃える/赤く血に染った城壁に蒼ざめた空にむかって!
この章句は、新しく変らなかった現実世界を描きながら、深い絶望の色にいろどられている。
(新日本新書『ランボオ』)
一八七一年五月、ランボオはコミュナールとしての熱情と怒りをこめて、最後の革命的な詩「パリのどんちゃん騒ぎ――或いは再び賑わいに返るパリ」を書く。コミューヌの騒ぎが収まると、ヴェルサイユやサン・ドニに逃げていた大ブルジョワたちがパリに戻ってきて、どんちゃん騒ぎをくりひろげる。その状況とブルジョワたちの退廃ぶりを、ランボオは、「聖なるパリ」との対比のうちに、描き出している。
パリのどんちゃん騒ぎ
或いは再び賑わいに返るパリ
おお臆病者ども さあパリだ! 駅へなだれ込め!
一夜「野蛮人ども(注1)」が埋めた その大通り(ブルバール)を
太陽は その熱い息吹きで 拭いかわかした
おお 西方に鎮座した 聖なる都 パリ!
さあ 戦火が鎮まって われ先にと戻ってくる
そら むかしどおりの河岸(かし)だ そら 大通り(ブルバール)だ
そら 軽やかな青空を背に かがやく家々だ
一夜 花火のような 赤い砲火を浴びた家々だ
崩れ落ちた宮殿など 板張り小屋に隠してしまえ!
おまえらの眼は かつての恐怖の日からよみがえる
見ろ 腰をくねらせてゆく 赤毛の女たちの群を
さあ 浮かれろ 眼を血走らせて 阿呆になれ!
脂肉(あぶらにく)など食ってる さかりのついた牝犬ども
金塗りの家々から上る叫びが おまえらをそそのかす
盗め! 喰(くら)え! いまや身もしびれる歓楽の夜が
街に降りてくるのだ おお 哀れな飲んだくれども
……………………
おお 汚らわしい奴ら ぞっとする恐ろしい口ども
もっと烈しく動きまわれ 悪臭を放つ口ども
もっと酒を この下司な酔いどれどものテーブルに...
おお 征服者ども(注2) おまえらの腹は 汚辱でいっぱいだ
……………………
梅毒病みに 道化ども 王公貴族に その手先ども
また腹話術など使う奴 おまえらの精神と肉体で
おまえらの毒やぼろで 娼婦パリに 何ができよう?
腐った悪党ども パリはおまえらをはじき出すだろう
おまえらが死んだような 脇腹 臓腑(はらわた)に呻きながら
無我夢中に金を叫びためながら ぶっ倒れるとき
戦闘で 胸ふくらんだ 赤い娼婦 パリは
しびれたおまえらをしりめに 堅い拳(こぶし)を握りしめるのだ
おお 苦しみもがく首都 息も絶えだえの首都よ
その頭と 二つの乳房を 「未来」の方に向けて
蒼ざめた身に 無数の城門をひらいた首都よ
暗い「過去」が おんみを祝福してもくれよう
とてつもない苦しみゆえに 魅力もつ 身よ
おんみはまた 怖るべき生をのみこんでしまう
おんみの身ぬちには 蒼白い蛆虫どもが湧きいで
おんみの 明るい愛の上を 氷のような指がうろつく
だがそれも悪くはない 蛆虫も 蒼白い蛆虫も
おんみの「進歩」の息吹きを止めることはできまい
あの青い高みから 星のような金の涙を流す
「女像柱(カリアチイド 注3)」の眼の光を消した「吸血鬼」と同じように
そんな態(てい)たらくのおんみは 見るも怖ろしいとはいえ
緑の「自然」にかくも悪臭を放つ潰瘍(かいよう)が かつて
ひとつの都市につくられたことはなかったとはいえ
詩人は歌うのだ 「おんみの美しさはすばらしい!」と
嵐は おんみを 至高の詩へと 清め高めた
動きうごめく はてしもない力が おんみを救う
労働が湧きたち 死が呻きをあげる 選ばれた首都よ
重いラッパのなかに 鋭い叫びを 吹きこめろ
詩人は聞きとるだろう 「不逞の輩(やから)」の呻き声を
「徒刑囚」の憎しみを 「呪われた者」の叫び声を
詩人の 愛のひかりは 「女たち」をむちうち
その歌は弾(はず)むだろう 見ろ 見ろ この悪党どもを
世の中はすべてもとに戻り──むかしの淫売宿に
むかしどおりのどんちゃん騒ぎが おっ始(ぱじ)まる
ガス燈が 熱にうかされたように不気味に燃える
赤く血に染った城壁に 蒼ざめた空にむかって!
一八七一年五月
注1「野蛮人ども」が埋めた――ドイツ軍によるパリ占領を指す。
注2「征服者どち」――「血の週間」の銃殺者どもを皮肉ったもの。
注3「女像柱」――ギリシャ人は、ペルシャにくみしたカリュアイを攻めて、男たちを殺し、女たちを奴隷に
したうえ、さらに伝えるために、重荷を背負う暗罪の女像を大理石柱に刻んで、このような女像柱をカリアチイドと呼んだという。ここでは、コミューヌのために戦ったパリの女たちを指すのか。ある批評家は、カリアチイドは古代文化の象徴であるとしている。
この詩は一八七一年八月ヴェルレーヌに送られたものの一つであるが、そこから見てもランボオの自信作であったと思われる。
この詩は一般に「パリ戦争の歌」のあとに置かれていて、ヴェルサイユ軍の勝利を扱ったものとされている。しかしM・A・リュフの指摘によれば、この詩はコミューヌの翌日を描いたものではなく、ランボオが見た普仏戦争末期のパリを描いたものだという。そのときもヴェルサイユやサン・ド二へ避難していたブルジョワたちがパリへ戻ってきたのである。そういう細かい点はとにかくとして、ここでランボオが保守的なブルジョワたちの頽廃ぶりを痛烈に罵倒していることは間違いない。
この詩では、パリの都市はコミュナールたちになじみ深い暗喩にしたがって、ひとりの女性の姿のもとに描かれていて、パリはその顔を「未来の方に」向けている。だがヴェルサイユの大ブルジョワどもが帰ってきて、またしてもパリを腐敗と堕落のなかへ突き落すのである。
梅毒病みに 道化ども 王公貴族に その手先ども/また腹話術など使う奴 おまえらの精神と肉体で/おまえらの毒やぼろで 娼婦パリに何ができよう?/腐った悪党ども パリはおまえらをはじき出すだろう
しかし詩人の希望と夢はかなえられず、世界は変らなかった。
世の中はすべてもとに戻りーむかしの淫売宿に/むかしどおりのどんちゃん騒ぎがおっ始まる/ガス燈が熱にうかされたように不気味に燃える/赤く血に染った城壁に蒼ざめた空にむかって!
この章句は、新しく変らなかった現実世界を描きながら、深い絶望の色にいろどられている。
(新日本新書『ランボオ』)
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