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不滅のチリ人民連合政府(7)クーデタの背景

ここでは、「不滅のチリ人民連合政府(7)クーデタの背景」 に関する記事を紹介しています。
(7)クーデタの背景

 チリ人民連合政府の三年間は、人民の統一による「反帝、反独占、反封建」の民族民主革命の発展と、これに対抗するアメリカ帝国主義、大資本家、大地主、さらに極左分子とのたたかいの過程でした。
 しかしながら、ついに一九七三年九月十一日、人民連合政府は軍部ファシストのクーデタによって崩壊させられました。チリ人民はこれまでたびたびクーデタの陰謀に会いながらも、これを人民の動員によって粉砕してきました。しかし、こんどはどうして人民連合の努力にもかかわらず、クーデタを成功させてしまったのでしょうか。前節でみたようなアメリカ帝国主義、右翼反動勢力、極左集団の攻撃のほかに、つぎのような要因があります。

チリの教訓から何を学ぶか

 第一に、中間層を含む強固な統一戦線を広範につくりだすために、まだ一歩力不足であったということがあげられます。人民連合は文字どおり「チリ国民の九〇パーセント以上」の利益を守る政策を実施して諸階層の同盟のための努力をつづけ、支持を拡大してきました。しかしながら、「左」右からの分裂策動によって、とくに中間層の人々が動揺させられ、人民連合への結集のテンポが遅かったといえるでしょう。
 第二に、軍部の問題があります。ラテン・アメリカではめずらしく、チリでは一九三二年以来軍部のクーデタが成功していませんでした。このことの背景には、なによりも人民の民主主義をめざすたたかいの持続的な発展があります。そのなかで、軍隊においても一定の民主主義思想が根づいていました。しかし、アメリカ帝国主義の軍事支配体制の中で存在してきたこと、また人民連合政府成立前の歴代政権下で人民の闘争を弾圧してきたことも事実です。
 したがって人民連合政府の軍隊改革の努力にもかかわらず、アメリカ帝国主義や右翼反動勢力のテコ入れや極左分子の挑発のなかで、アメリカ帝国主義と反動勢力はついに反動勢力の道具として軍隊を使用しうる状況をつくりだすことに成功しました。しかしそのため、軍人の中の民主主義者をクーデタ直前に大量に処刑したり、とらえたりしなければならなかったのです。
 第三にあげなければならないのは人民連合自体の弱点です。人民連合は広範な諸勢力の統一体でした。したがって、一つ一つの政策の細かいところでの不一致はむしろ当然のことといえます。それは一致点での行動のつみ重ねによって克服できるものです。重要なのは革命の戦略の問題です。共産党やアジェンデ大統領は、広範な人民を結集して民族民主革命を徹底させてこそ、社会主義への道がきりひらかれると考えていました。一方、人民連合内の一部の人たちはMIRのようなやり方を支持して、いっきょに社会主義革命を行なうことに賛成していました。このような革命の基本的な問題での不一致が、MIRの反革命活動を許し、さらに右翼反動勢力の攻撃を容易にする一つの大きな原因になったのです。
 チリ人民は、人民連合政府成立までの長い道のりと人民連合政府樹立後の三年間の果敢なたたかいを通して、民主主義と民族解放をめざす世界の人民に偉大な貢献を行ないました。私たちは、チリ人民の犠牲をむだにせず、彼らの残した教訓を深く学び、明日のたたかいに生かさなければなりません。

 <アジェンデは労働者の味方だった>

 前政権の破産状態をひきつぎ、また国会では少数与党という困難な条件のもとにおかれていたにもかかわらず、アジェンデ政権が経済の復興や動労者の生活の擁護という点で達成した業績は、今後ますます明らかになるでしょう。
 人民連合支持者にたいする射殺や逮捕がつづいていたときでさえ、人びとは「アジェンゲは労働者の味方だった」(『朝日』)、「かれは貧乏人の味方だった」(『読売』)、「アジェンデさんは立派な人だった。おかげで来月末には新しいアパートに移れます」(『サンケイ』)とはっきり語っています。これはクーデター直後、ようやくチリ入国を許された日本人記者に、サンチアゴ市民が語ったことばで、人民連合政府の成果をはっきりとものがたるものです。
(この項おわり)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

アジェンデ



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