(3)外交政策
外交面では、人民連合政府はキューパや中国などと国交を回復して社会主義国とも友好的な関係をうちたてるなど、自主的、平和的な外交政策を展開しました。そして、ラテン・アメリカ諸国と非同盟中立の立場での外交を積極的に発展させました。同時に、アメリカ帝国主義との間に結んでいた軍事同盟条約を改めて、アメリカ帝国主義の軍事支配をとり除く努力をつづけました。こうして人民連合政府は、アメリカ帝国主義に従属した外交を改め、真の平和共存の理念にのっとった自主的外交政策をおしすすめました。
以上のようにして、チリ人民連合政府は、チリの経済、政治、文化をアメリカ帝国主義、大資本家、大地主の手からチリ人民の手にとりもどしました。そして、国の発展の土台である経済改革を成功させるために、チリの経済に社会的所有部門、私的所有部門、混合部門という三つの部門をつくりだしました。そのなかで、とくに社会的所有部門を中心にして生産を発展させることによって、アメリカ帝国主義、大資本家、大地主の経済支配を完全にうちやぶることが人民の重要な課題となりました。実際に、反動勢力や極左分子による妨害や分裂策動が本格的に開始されるまでのチリ経済は、さまざまな分野で活気にみちた発展をしめしたのです。このことは、人民連合政府成立後一年間で工業生産が一〇パーセントもの成長をなしとげたことにも示されています。
こうしたたたかいの中心になったのはチリ人民自身でした。アジェンデの大統領当選を下からささえたのは、チリの全国各地に結成された一万二千もの人民連合委員会でした。そして、人民連合政府による諸改革の成功は、CUTに結集する百万の労働者を中心部隊としたこのような組織された人民の動員によって保証されたのです。同時に、行政機関をはじめとするあらゆる旧来の官僚主義を克服するたたかいもすすめられ、たとえば、土地改革の実施においては農民自身がこれに積極的に参加して、彼らの要求や意見が大いにとり入れられました。
さらに、ベトナム人民をはじめとする世界の反帝民主主義勢力のたたかいは、アメリカ帝国主義を窮地においこみました。ラテン・アメリカでは、キューバ革命が発展しつづけ、ペルーやパナマなどでも反米的、民族主義的なたたかいが、大きな高まりをみせました。これらの世界各地における反帝民主主義勢力のたたかいが、チリ人民のたたかいを大いに励まし、それをささえる力になりました。
こうして人民連合政府は、反動勢力の攻撃にあいながらも、着実に人民の支持を拡大していきました。一九七三年三月の国会議員選挙では、他の党派が支持を減らす一方で、人民連合は四三・四パーセントの支持率を獲得して、一九七〇年九月アジェンデ大統領の得票率三六・三パーセントにくらべて、大幅に人民の支持を伸ばしました。
(つづく)
(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)
外交面では、人民連合政府はキューパや中国などと国交を回復して社会主義国とも友好的な関係をうちたてるなど、自主的、平和的な外交政策を展開しました。そして、ラテン・アメリカ諸国と非同盟中立の立場での外交を積極的に発展させました。同時に、アメリカ帝国主義との間に結んでいた軍事同盟条約を改めて、アメリカ帝国主義の軍事支配をとり除く努力をつづけました。こうして人民連合政府は、アメリカ帝国主義に従属した外交を改め、真の平和共存の理念にのっとった自主的外交政策をおしすすめました。
以上のようにして、チリ人民連合政府は、チリの経済、政治、文化をアメリカ帝国主義、大資本家、大地主の手からチリ人民の手にとりもどしました。そして、国の発展の土台である経済改革を成功させるために、チリの経済に社会的所有部門、私的所有部門、混合部門という三つの部門をつくりだしました。そのなかで、とくに社会的所有部門を中心にして生産を発展させることによって、アメリカ帝国主義、大資本家、大地主の経済支配を完全にうちやぶることが人民の重要な課題となりました。実際に、反動勢力や極左分子による妨害や分裂策動が本格的に開始されるまでのチリ経済は、さまざまな分野で活気にみちた発展をしめしたのです。このことは、人民連合政府成立後一年間で工業生産が一〇パーセントもの成長をなしとげたことにも示されています。
こうしたたたかいの中心になったのはチリ人民自身でした。アジェンデの大統領当選を下からささえたのは、チリの全国各地に結成された一万二千もの人民連合委員会でした。そして、人民連合政府による諸改革の成功は、CUTに結集する百万の労働者を中心部隊としたこのような組織された人民の動員によって保証されたのです。同時に、行政機関をはじめとするあらゆる旧来の官僚主義を克服するたたかいもすすめられ、たとえば、土地改革の実施においては農民自身がこれに積極的に参加して、彼らの要求や意見が大いにとり入れられました。
さらに、ベトナム人民をはじめとする世界の反帝民主主義勢力のたたかいは、アメリカ帝国主義を窮地においこみました。ラテン・アメリカでは、キューバ革命が発展しつづけ、ペルーやパナマなどでも反米的、民族主義的なたたかいが、大きな高まりをみせました。これらの世界各地における反帝民主主義勢力のたたかいが、チリ人民のたたかいを大いに励まし、それをささえる力になりました。
こうして人民連合政府は、反動勢力の攻撃にあいながらも、着実に人民の支持を拡大していきました。一九七三年三月の国会議員選挙では、他の党派が支持を減らす一方で、人民連合は四三・四パーセントの支持率を獲得して、一九七〇年九月アジェンデ大統領の得票率三六・三パーセントにくらべて、大幅に人民の支持を伸ばしました。
(つづく)
(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)
- 関連記事
-
-
不滅のチリ人民連合政府(5)チリの右翼反動勢力の攻撃 2019/05/19
-
不滅のチリ人民連合政府(4)アメリカ帝国主義の攻撃 2019/05/18
-
不滅のチリ人民連合政府(3)外交政策 2019/05/17
-
不滅のチリ人民連合政府(2)国民生活の改善 2019/05/16
-
不滅のチリ人民連合政府(1)人民連合政府の課題 2019/05/15
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/4054-34f3720f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック