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チリの夜明け 戦前の人民戦線から(3)一九三八年の人民戦線政府

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(3)一九三八年の人民戦線政府

 一九三〇年代にはいると、世界的な反ファシズムの闘争のなかで、チリ人民は、みずからの役割をいっそう自覚してたたかいを強化します。統一戦線組織CNAの崩壊後、共産党が非合法化されたなかで、いくつかの社会党と名のる組織が生まれ、これらはイバニェスの組織した御用組合「合法労組全国連合」(CNSL)のなかで、影響力を拡大していきました。一九三二年六月には、社会党の一指導者マルマドゥーケ・グロペが軍事クーデタをもって政権をにぎり「社会主義国宣言」を行ないますが、すぐに逆クーデタで倒されてしまいました。グロペらは一九三三年チリ社会党を結成してCNSLの指導を強化します。一方、一九三一年に合法化された共産党の指導によってふたたび活発な活動を開始したFOCHは、一九三四年、CNSLなどの労働組合組織に統一を呼びかけました。そして、一九三六年、FOCHとCNSLを中心として、チリの組織労働者の圧倒的多数を結集するチリ労働者連盟CTCH)が結成されました。
 それに先だって共産党は一九三五年八月、人民戦線結成の呼びかけを行ないました。当時、共産党に対立していた「左翼政党ブロック」が存在しており、そのプロックの中には社会党、民主党、急進党左派、そして共産党左派を自称するトロッキスト集団などが入っていましたが、ブロック内部の革命的グルーブは共産党を含む統一組織の結成に努力しました。
 こうして、共産党、社会党その他の革命的民主主義者たちの一貫した努力、CTCHに結集する労働者階級のたたかい、スペイン、フランスでの人民戦線の闘争の力によって、「左翼政党ブロック」内の反共主義、トロッキズムは克服され、一九三六年三月人民戦線が生まれました。これには、「左翼政党プロック」加盟の諸政党、共産党、急進党、CTCHが参加しました。そして、右翼反動勢力の妨害と軍部ファシストのクーデタの試みをはばみつつ、一九三八年の大統領選挙には急進党のペドロ・アギーレ・セルダを統一候補として立て、約四千票の差で第一位を獲得、スペイン、フランスにつく人民戦線政府を樹立したのです。この政府にはのちの人民連合政府大統領サルバドール・アジェンデも公共保健相として入閣しました。
 しかし、支配階級の激しい攻撃、人民戦線に参加する諸政党、労働組合の団結の弱さ、人民戦線政府を下からささえる人民の運動の弱さなどのために、人民戦線政府は一九四一年一月崩壊し、急進党の一党政権に変質しました。この経験は、チリ人民に、労働者階級を中心として「反帝、反独占、反封建」のいっそう広範な勢力の統一とその団結の強化を要求するものとなりました。
(つづく)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

野の花

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