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チリの夜明け 戦前の人民戦線から(2)チリ社会の転換期

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チリの夜明け 戦前の人民戦線から(2)チリ社会の転換期

チリ社会の転換期

 一九二〇年代にはいって、チリ人民のたたかいは新しい段階をむかえます。支配階級の支柱となっていた地主階級とこれに結びついたイギリス帝国主義は、チリの資本主義の発展にともなうブルジョア階級の成長とこれを支持するアメリカ帝国主義の進出に出会うことになります。一九二〇年にはいわゆる自由主義をかかげるアルトゥーロ・アレサンドリが大統領に当選しましたが、彼は労働者階級のたたかいの発展をはばむために組織された「自由同盟」から立候補していました。一九二〇年代前半は、支配階級内部での対立と、そのもとでの共産党に指導された労働者階級のたたかいの前進というチリ社会の転換期として特徴づけられます。
 こうしたなかで、一九二四年、軍事クーデタによってイバニェス・デル・カンポの軍事独裁政権が成立しま す。イバニェスは、地主階級をおさえてブルジョアジーおよびアメリカ帝国主義の要求をとり入れながら、一方 では共産党の弾圧をはじめとして、労働者階級、農民その他の勤労人民には生活苦をおしつけました。

統一戦線運動の萌芽

 しかしながら、一九二五年には大統領選挙を実施せざるをえなかったのです。この選挙で共産党は統一戦線結成のために先頭にたち、FOCH、「小工業者連盟」、「小作人連盟」をはじめとする多くの大衆組織を結集した「勤労者全国委員会」(CNA)の結成に成功しました。これはチリにおける統一戦線運動の萌芽であったといわれています。
 そして、ホセ・サントス・サラスを進歩勢力の統一候補に立て、反動勢力の代表エミリアーノ・フィゲェアと対決して大統領選挙をたたかいました。結果的には敗れたものの、サントスは約三〇パーセントの得票率を獲得して、人民統一の威力を示しました。しかし、CNAを統一戦線組織として存続させようという共産党の主張にもかかわらず、サントスらのグルーブによって消滅させられてしまいます。その後、一九二七年フィゲロアの辞任にともないイバニェスが大統領に当選すると、共産党は事実上非合法化され、労働組合は統制をうけて御用組合化されました。チリはイバニェスのファッショ的な支配におおわれると同時に、アメリカ帝国主義への従属を深めていきます。

(つづく)
チリ人民は

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)


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