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パブロ・ネルーダ 『きこりよ めざめよ』

ここでは、「パブロ・ネルーダ 『きこりよ めざめよ』」 に関する記事を紹介しています。
 きこりよ めざめよ

一九四八年にかかれた『きこりよ めざめよ』は、『大いなる歌』の第九章をなしている。

  コロラド河の西に おれの愛する土地がある
  そこに おれは駆けつけるのだ
  おれの身うちを 脈うち流れるもの
  おれの過去と現在と おれの背負っているすべてをもって

 こうして始まるほぼ七〇〇行の詩によって、ネルーダは北アメリカに呼びかける。第二次大戦は終わったが、早くもアメリカ帝国主義が、世界のうえにその黒い影をもってのしかかっていた。その危険をいちはやく見てとった詩人は、北アメリカの人民によびかけると同時に、アメリカ帝国主義の本質をあばいて、警告を発しているのである。
 「きこり」とは、貧農の子として生まれ、幼い時から斧をふるって山林をきりひらいたエィブラハム・リンカーンを指すと同時に、アメリカ人民を意味していることはいうまでもない。

  北アメリカよ おれたちが愛するのは
  おまえの仮面ではなく おまえの平和だ
  ・・・
  おれたちが愛するのは オレゴンの泥で
  手を赤く汚した男だ
  ・・・
  西部の開拓精神だ
  蜂蜜のとれる 平和な村だ
  ・・・
  おれたちが愛するのは おまえの労働者の血と
  油だらけの人民の手だ

 それは、ウォルト・ホイットマン、ポオ、シオドア・ドライサー、シンクレア・ルイスなどを生んだ人民のアメリカである。

  もう遠いむかしから 大草原の夜空の下
  静まり返った水牛の皮の上には
  おれたちの生まれる前にいた人たちの
  言葉や歌が鳴りひびいていた
  メルビルは 海べの松だ その枝から
  龍骨と腕木といっそうの舟が生まれた
  かぎりもない穀物のようなホイットマン
  暗い数字にとじこもったポオ
  ドライサー ウルフ
  かれらは おれたちの生まれる前のなまなましい傷口だ
  また近くはロックリッジが 土の奥に葬られ
  そのほか どんなに多くのものが
  くらやみのなかで眠っていることか……

 詩人は、このように人民のアメリカをなつかしく思い描いているが、みずから世界の憲兵とうぬぼれて、世界の人民に暴虐な戦争をしかけようとするアメリカ帝国主義には、手きびしい警告を投げている。

  だが 北アメリカよ
  もしもおまえが ごろつきどもに銃をもたせて
  この清らかな国境を破壊しょうとするなら
  そしてシカゴの牛殺しを連れてきて
  おれたちの愛する音楽と秩序を支配しようとするなら
  おれたちは 石のあいだ 大気の中から飛び出して
  おまえに噛(か)みついてやる
  最後の窓から飛び出して
  おまえに火を浴びせてやる
  深い波の底から躍り出て
  棘(とげ)でおまえを釘づけにしてやる
  畑の畝(うね)から躍り出て コロンビア人の拳のように
  種蒔(たねま)きの手で ぶちのめしてやる
  おれたちは外に飛び出して パンも水も拒んでやる
  躍り出て 地獄の火でおまえを焼いてやる

  だから 兵士よ やさしいフランスの土地には
  足を踏みいれるな なぜなら
  葡萄畑が二度と踏み荒されぬように
  おれたちがそこに見守っているからだ
  そして貧しい娘たちが まだなまなましく残ってる
  ドイツ人の血の跡をおまえに指(ゆび)さすだろう
  またスペインの 鋸(のこぎり)の歯のような乾いた山脈(やまなみ)をよじ登るな
  石のひとつひとつが火となり
  勇士たちは千年も戦うだろう
  そしてオリーヴの林にも迷い込むな
  おまえは二度とオクラホマにもどれないだろう
  ・・・

  アメリカ帝国主義の侵略の野望をあばいた詩人は、これらウォール街の死の商人たちをうちのめすために、エィブラハム・リンカーンのかがやかしい民主主義的伝統にめざめて立ち上がるように、アメリカ人民によびかける。

  そんなことがひとつも起こらぬように
  ・・・

  きこりよ 眼をさませ

  エィブラハムよ やって来い
  やってきて 古いパン種をふくらませろ
  イリノイの 黄金(こがね)と緑の大地をよみがえらせろ
  人民のなかに立って 斧をふりかざせ
  新しい奴隷主義者に向かって
  奴隷をむちうつ鞭に向かって
  毒をふりまく印刷所に向かって
  かれらのつくろうとする
  血まみれの市場に向かって
  白人の若者も 黒人の若者も
  歌いながら 微笑みながら 進め
  ドルの壁をつき崩し
  憎しみをあふりたてるものに抗し
  かれらの血で肥る商人に抗して
  歌いながら 微笑みながら
  勝利をめざして堂堂と 進め

  きこりよ 眼をさませ

 『きこりよ めざめよ』の最後の章は、平和の歌によってしめくくられている。戦争によってぼろ儲けを企む、ひとにぎりの死の商人とは逆に、働くすべての人民は、平和をこころから願っている。詩人は「わたしの信条は 平和と希望なのだ」とも語っている。

  日ごとに訪れる 夕ぐれに 平和あれ
  橋のうえに 平和あれ 洒に 平和あれ
  わたしの使う言葉に 平和あれ
  そしてわたしの胸にのぼってきて
  土の匂(にお)いと愛にみちた 古いむかしの歌を
  くりひろげてくれる 言葉に 平和あれ
  パンの匂いで眼がさめる
  朝がたの都会(まち)に 平和あれ
  ・・・
  スペイン・ゲリラの
  ひき裂かれた心臓に 平和あれ
  そこでは ハートの刺繍(ししゅう)のある座布団が
  いちばん なつかしい
  ワイオミングの小さな博物館に 平和あれ
  パン屋と かれの愛に 平和あれ
  小麦粉のうえに 平和あれ
  やがて芽を出してくる麦に 平和あれ
  茂みを探す 恋びとのうえに 平和あれ
  生きとし生けるものに 平和あれ
  すべての大地と 水のうえに 平和あれ

 さらにこの詩の最後を、ネルーダは祖国チリへの祖国愛と、人間味にあふれた人民への友愛とによって結んでいる。それは、この詩をつらぬいているけだかい国際連帯の精神ときりはなしがたく結びついているからである。

  わが祖国では 坑夫たちが牢獄にぶちこまれ
  軍人どもが 裁判官をあごで使っている
  だがわたしは この寒くて小さい
  わが祖国を 根っこまで愛しているのだ
  たとえ 千回 死のうとも
  わたしは わが国で死にたい
  たとえ 千回 うまれようとも
  わたしは わが国に生まれたい
  あの未開のアラウコ族のそばに
  南極の風が 猛り狂うところ
  教会の鐘楼が 新しく建てられたばかりの処に
  ・・・
  わたしのねがいは
  坑夫も 娘さんも
  弁護士も 舟乗りも
  人形作りも みんな
  わたしといっしょに来てくれることだ
  われわれはみんなで映画館にはいろう
  そして映画がはねたら
  赤い葡萄酒を 飲もうではないか

  わたしは何も問題を解決しにきたのではない
  わたしはここに 歌うために きたのだ
  きみたちといっしょに歌うために──

(大月書店「愛と革命の詩人ネルーダ」『大いなる歌』)

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