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大野英子さんのお話を聞く会

ここでは、「大野英子さんのお話を聞く会」 に関する記事を紹介しています。
桜
埼玉の小学校で障害児教育を実践してきた大野英子さんからお話を聞く会が開かれました。

1
障害児教室の子どもたちとの交流をユーモアを交えて話しました。賞状がほしい、字が書けるようになりたいという子どもたちの願いにをかなえるためには作文を書かせるのがいいと考えて、一生懸命作文を書かせてきました。

4
戦災孤児は大変だったが、好きになった。和夫という子は盗癖で手がつけられなかったがやっと作文を書いてくれた。それが東京で本に載って、「もう盗みなどやっていられない」といっさい盗むことをやめた。立派に成人したのを見て、みんなよくやっているなと、それが教師をやったせめてもの慰め。なんとか子どもたちを助けようとした。国は戦災孤児を全て見捨てたんですよね。

2
短歌に凝っているので治安維持法で亡くなった兄のことを歌いました。
東北のあるお婆ちゃんは歌いました。
 日本の日の丸何して赤い
 帰らぬおらが息子の胸の血で赤い
こんな歌を再び歌わせてはならないわけですよ。
ある校長先生は「日の丸を染めれば、白旗を血に染めれば日の丸となるって言って、みんな死んでいきました。捕虜になってでも生き延びることを考えなさいと子ども等に教えることはできませんでした」。これは、戦中の先生の痛恨の叫びなんです。
信濃教育は昭和8年2月4日、大弾圧を受けました。なんのいわれもないことで、文部省の命令で、本当のことを教えてはいけないという。
3
治安維持法のために命を落とした兄のことを本に書いて訴え続け、はれて兄は無名戦士の墓に入ることが出来ました。治安維持法は今また共謀罪で復活しようとしている。治安維持法の恐ろしさを伝え続けなければ。
民衆が声を上げないと戦争が始まります。声があげられるうちにできるだけ大きな声を上げたいと思います。

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