(「フランス・レジスタンスの詩(2)ジャン・タルディウ」『詩人会議』1975年3月)
一九四四年六月六日の夜明け、英仏海峡は連合軍のかぞえきれぬ艦船で埋められた。船体をよせあった幻のような大船団が、ノルマンディ海岸をめざした。連合軍の敵前上陸がはじまったのである。
ドイツ軍は海岸線の防備を強力にかためていた。トーチカには強力な火砲が配置されていた。浜べに深くぶちこまれた鉄板が、装甲車やトラックの上陸をこばみ、幾重にもめぐらされた有刺鉄線が、歩兵の前進をはばんでいた。しかし、それも連合軍の上陸作戦をおしとどめることはできなかった。上陸用舟艇の口がひらいて、兵隊や武器弾薬が吐きだされる。ジープや戦車が船を並べた橋のうえを前進し、橋頭壁がつくられる。ダンケルクの敗走から四年後、ついに連合軍はフランスを解放するために上陸した。
シェルブール港に近いサント・メール・エグリスには落下傘部隊が降下した。六月八日、バイユーの町が解放される。
ドイツ占領軍とその協力者たちは、じぶんたちの敗勢を知って、いよいよその野蛮ぶりを発揮する。
六月六日以来、南仏トゥールーズ附近に進駐していたナチス親衛隊の精鋭部隊は、戦車と大砲とともに退却するため、北方にむかって行軍をはじめていた。いたるところで、とりわけドルドーニュ県やリムーザン地方で、フランスの愛国者たちはドイツ軍に襲いかかり、ドイツ軍の前進をにぶらせた。こうしてナチスはいよいよ狂暴になった。かれらは通過する村むらに火を放った。テュル市では、九九人の人質を絞首刑にして、路上に吊した。六月十日、オート・ビアンヌ県のオラドゥール・シュル・グラーヌの村を焼きはらい、全村民を虐殺し、女と子供たちを教会に閉じこめて、これを焼きはらった。この怖るべき犯罪は、フランスのひとつの村を文字どおり地図から抹消し、およそ五百人が犠牲となった。
オラドゥールは、ナチスの冷酷残忍な蛮行の象徴である。ナチス・ドイツ軍に占領された国ぐにでは、とくにポーランドとソヴェトでは、オラドゥールのような運命をたどった村むらは百を数えるといわれる。チェコのリディツュ村でも、オラドゥールとおなじ犯罪がおこなわれたのである。
一九四四年八月、『レットル・フランセーズ』紙一九号の一面に、ジャン・タルディウの詩「オラドゥール」が掲載された。
(「連合軍の上陸・オラドゥールの悲劇」『レジスタンスと詩人たち』1981年)
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