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小河内谷のじじいが歌(下)

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小河内谷の(下)


ダム







 小河内谷のじじいが歌
                   こばやし・つねお

そしてまた
「六百万都民の水のために」と
朝の都下版のトップへ出た
白茶けた工事場の写真まで入れて
まことしやかに新聞へ出た

ああ いつもながらの
こいつをわしらは いつの年から
何千何百回きかされたことであろう
そしてこのように いつの年から
どれほど書きたてられてきたことであろう
──あれから もう二十年にもなる
しかしそのままわすれられたように
ダムの工事はいっこう進まず
進められたものはといえば
この小河内を氷川と結ぶ山間の鉄道と
立川、横田の基地から富士山麓までのびる観光道路と
はなしていけばこれもはっきりすることだが
わしらを食いものにした大山地主の
財産の上へ なお大金を積むことばかり

ところが今年にはいってから
思いだしたようにまたダムへ着手すると
今度は夜昼の区別もなく
どうも今までとは様子がちがう
犠牲の言葉によわされながら
二十年のうちに
わしもどうやら老いぼれはじめてしまったが
しかしまだ わしのにらみに狂いはない
いかにもう新聞がトップへ書きたてようと
いよいよはっきりしてきてることは
これが基地のための発電所として
進められているということだ
なぜなら どうしてこんなにいそいで
中止されていた都民のためのダム工事が
急に夜中にまで進められはじめたのか
観光道路として作られた四米五十の大道路が
誰によって どうつかわれはじめたか
それにこの小河内の谷が
基地をとりまいてどんな位置になるのか
わしらの中で
それを疑うものはもう一人もいない

しかし きまったことなら仕方もあるまい
少しでも余計に補償金をとって と
中にはいいだしたものらもいたが
ああ わしらはどこまでしぼりぬかれるのであろう
土地はとうにわしのものではなく
ながい貧乏くらしに借金はかさんで
このあばらやさえいつのまにやら地主の名儀
住みついているとはいうものの
この 土地もなく家もないまる裸のわしらに
補償金ビタ一文さえ どこからふっておちるというのだろうか
どの土くれを掘りおこしてみたとて
涙ほどさえも湧いて出はしない
この谷に生れ
この谷に育って
傾斜した畑に種まきそだて
この山と暮しをともにして 今日まで生きて
すでに老いぼれるこの年にまでなって
そのわしらへの立退き料 補償金さえ
このしなびた体へはつかない
土地も家も そっくりそのまま
いつやら地主へ渡っていたように
それらへの最後の補償金までが
やつらの大金の上へ
さらに新しい財産を静かに積むのだ

そうしてまためぐってきた春とともに
裏山のうぐいすの声とともに 
吹きこんできた季節の風とともに
その頃から
この谷へやってきた若者たち
若者たちはどこからともなく
いつかこの谷へあつまってきた
おのおの背おったリュックサックの中へ
食糧とともに 色刷りのビラをも
幾色か ぎっしりつめこんでやってきた
紙芝居と 幻燈写真と
日本と世界の話題をつめて
それに 笑顔と勇気をも.
ともにつめこんでやってきた
そして若者たちは この谷の春を
ビラの花々でいっせいにかざった
残り少なにくすぶっていたいろり辺へは
夜ごと 明るい笑顔をもちこみ
茶のみばなしへくわわりにきた
その若者たちのはなしは みょうに
わしらのしなびた胸の勇気を
しばしば かきたてることがあった
それにまた 幻燈と紙芝居とが
餓鬼どもといっしょに わしらの面にも
笑いと怒りの花を咲かし
餓鬼どもは若者の歌を いつかおぼえた

こうして若者たちがあらわれてから
わしらは一つ一つうなづける話を
加勢して貰いながらの麦畑で いろりの傍で
やさしくわかりよく聞かされたのだが
そして はずかしいが ダムに関して
多くをはっきり知ることも出来たのだが
しかしなぜかわしは その若者たちを
腹底から信じることができなくていた
「ダムは軍事基地を築くための発電所だ」
「軍事基地から村を守れ」
「都有林 二万二千町歩を解放させろ」
「大山地主、官僚、土建屋のくいものになる小河内ダムに反対しろ」
それはまったくそのとおりだった
そしてわしもむすこの一人を戦争でなくし
ふたたび戦争の準備はまっぴらだし
住みなれた村はかわいいし
それを食いものにしようとするやつらには腹も立ったが
なぜかわしは
ああ なぜか若者たちを 信じることができないでいた

若者たちは山の小屋に泊りこんでいたが
それから間もなくのある夜あけ前
床のなかから手錠をかけられ
ひっぱたかれ
けとばされ
たたきつけられ
ふみつけられ
自由のきかぬ手首から血を吹きちらし
十倍もの警官に反抗しながらも
全員 とらえられていってしまった
わしはすすんで助けにでるほど
まだ信じることはできないでいたが
この若者たちの
どこが罪悪だというのであろう
そしてわしはなぜか
若者たちがとらえられ
この谷から姿をけしてしまったのを知って
胸に大きなすきま風が渦まいて吹きこんできたような
体の力がとたんにぬけてしまったような
そんな感じを人知れずおぼえながら
しかしこれでおしまいだと思った
ひとりのこらず手錠をかけられ
武装にかこまれていってしまって
これでおしまいだ とわしは思った

しかし
ああ わしはやっぱり老いぼれていたのだろうか
わしのにらみは狂っていた
その若者たちがとらえられていって
まだ三日もたたぬうちに
新しい若者たちは またやってきた
やはりどこからともなく
明るい歌声をひびかせて わしらの谷へ集ってきた
おお その頬にまだ少年の紅みをのこしている若者たち
あんたたちをむかえて
わしはこの胸のあつくなるおもいを
もはや誰の前にもかくすことはしない

わしらの心の底深くあった期待を
裏切ることなく またやってきたあんた達この感激を
しなびたまずしい胸にもやして
わしは 新しいあんたたちをむかえるために
どんな挨拶を用意したらいいのだろうか
この谷にねむる祖先への
死土産にはずかしくない挨拶を
そして先の若者たちへの
恥をそそげる本ものの挨拶を
孫ほどにも若いあんたたちをむかえて
わしはどう用意したらいいのだろうか
年がいもなく
とこう まよっているうちに
おお わしのしなびてた心は
昔おぼえた若者のはずみのように
底の方から波うってくる

はずむ心で またふりかえる
ほれ あのはるか高い山腹の白い目じるしせきとめられて
わしらが畑の上に 屋根の上に
おやじとおふくろと じいさまとばあさまと
すでに先だったかかあらの墓の上に
そしてなお生きていかねばならぬわしらと
息子たち娘たちと孫らのすべての上に
この谷に水はいっぱい
あの白線の高さにまで
満々とたたえてあふれるというのに
どこにわしらの行く先があるというのだろう
やがてあの目じるしまで
すっかり湖の底にしずんで
水はあふれてくるというのに
わしらはどこにも行く先がない

そうして湖底にしずむ日に追われながら
貧しい生命の最後のために
わしらへなにが残されているというのであろう
当りまえの補償金さえ
はじめからないことはわかっていながら
またやってきた若者たちをむかえて
わしの心はあらためてきまった
流れる水をすくいあげ
土の上をあるくことだけでも
生きるために まだわしらへ残されているというならば
山の木を切り倒すことが
わしらへ残された最後のものでなくてなんであろう
太陽の光にあたる権利が
はだかのわしらにも まだ残されているというならば
山の木で命をつなぐ その権利が
わしらのものでなくてなんだろう
もう二度と
甘い言葉のひびきにはだまされない
どうやら このまがりかけた腰をのばしなおすことも
なにかの役に立つときがきたようだ
くだけがちな腰にむちうちながら
たとい この家がたたきくずされようと
たとい 麦粉の一椀もがなくなろうと
どうして立退くことができるだろうか
この首が水につかるまでは
わしらは決して 立退かない
立退くことは出来ぬ
             (一九五二年四月)


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