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山岡和範「一九五三年の八月六日に」

ここでは、「山岡和範「一九五三年の八月六日に」」 に関する記事を紹介しています。
 博光の友人だった詩人の山岡和範さんも『武蔵野詩集』に「一九五三年の八月六日に」と「写生」を書いています。2篇とも米軍事基地に抗議する詩です。山岡和範さんは1952年に広島大学教育学部を修了し、町立田無小学校に勤務、東京都教職員組合加入。米軍宿舎反対運動に参加。「武蔵野」(武蔵野文芸懇談会)に参加。大島博光、津布久晃司などと会う<『山岡和範詩選集』山岡和範略歴(コールサック社 2010年)>とありますので、東京の小学校に赴任した山岡さんが『武蔵野詩集』を通して博光と出会ったことがわかります。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 一九五三年の八月六日に 
                          山岡和範

しぶきをはねて いま
雨が降っている
きのう広島から来た友は
ねころんで雑誌を読んでいる

友の語った広島の話をたぐりよせながら
いま広島で開かれているという平和国民大会のさまを
おれははっきり胸に描く
鷹野橋を駆けつけている学生の群列を
八丁堀の電車から押し寄せていく人間の波を
〈昨年の大会に顔を見せなかった
おれの先生も友達も
いま 胸をはりつめているだろう〉

「 安らかに眠って下さい
過ちは繰り返しませんから」
その空を
立川からはアメリカ機が飛び立ってくる
朝鮮戦争は終わったのに
毎夜毎夜の爆音のなかに
照明柱は おれたちの町の
おれたちの星空を突き刺している

きょう、八月六日
おれは話した 子供たちに
一九四五年の八月六日を
その日の広島を
そしていまなお「死」へつき落とされている白血病の悲しみを

日本の敗戦を
いまいよいよ広がるアメリカ軍事基地を
この町を軍用車が運ぶ大型爆弾と
となりの町に工事されつつあるアメリカ軍宿舎と
おれは子供たちに話した
日本のいのちをむしばむ者への憎しみをこめて

ものすごいしぶきをはねて
いま 雨が降っている
友は雑誌を伏せて伏せて
すね毛のない足をぼりぼりとかいた
黒いズボンに隠されていたもの
それは骨の裏まで腐り着いたかもしれない傷跡
まる顔の半分はざらざらに赤くなっている
八年の夏の痛みに耐え抜いた傷跡

治療費一万五千円
八年の後もいまなお
子供をせなかにいくら働いても
治療できぬまま 次々に
死んでいくかもしれぬ被害者六千名
いつ原子病に落ちるかもしれぬ不安に憤る
何万という生きのびてきた被害者たち
そして友は口をつぐんでしまった
「おれはいつ死ぬかわからぬ」と
しかし友よ 耳をすませ
軍事道路が交差しているこの町に
爆弾を積み上げたトラックが20台
ビストルの光る権威を振りまいてこの町を揺さぶり
保安隊を詰め込んで続くトラック
この町の通路を閉鎖して疾走する
商店町も 住宅も 百姓のかまども
ひっそり黙ってゆさぶられる

おのれの町の利益のためだとだまされて
立川を中心に工事が重ねられた軍事道路
所沢街道
青梅街道
五日市街道
甲州街道

この中で日本の女がどのように辱められ
軍用車の車輪の下に
日本の子供たちがどれほど殺されていったか

そして友よ 見るがいい
雨の中にはってある
三多摩平和大会のビラを
きのう おれたちが貼はってあるいたビラ
この町の電柱に
隣の村の家の壁に
百姓の けや木の幹に
がっしりはってあるビラ

武蔵野市=米軍宿舎
大和村=米軍兵舎
小平町=グローブマスター墜落事件
小金井町=行政協定道路
立川市=空軍基地
大会に報告されるこの地域の問題を

おれはいま
この雨の中でたくわえる
おれの胸のいきどおりをたくわえる
国を売る者たち
やつらへのいきどおりを

黙ってはならぬ
広島・太田川を流れた血のために
広島の焼土をそめて赤い
戦争をにくしみのろう血のために

もはや子供達さえがやつらの墓のために
ささげる線香を用意しているとき
きょう 八月六日
広島平和国民大会の日
広島から来た友よ
いまこそ 怒り語れ
原爆と戦争の罪を
にくしみ込めて 語れ

ものすごいしぶきをはねて
いま大雨が大地をたたくように降っている
はねとばすしぶきをこえて
三多摩平和大会の用意が進んでいるとき

(『武蔵野詩集』)

もみじ


山岡和範さんご逝去

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