アラゴン『眼と記憶』目次
1 最後の審判はないだろう(テキスト)
2 人生は苦しんで生きるねうちがある
3 人民
4 ひとは遠くからやってくる
5 どのようにして水は澄んだか
6 未来へのほめ歌">未来へのほめ歌(テキスト)
7 平和の歌(テキスト)
(『アラゴン選集Ⅲ』飯塚書店)
長詩『眼と記憶』のとびらには、「『赤い馬』の作者におくる」という献辞がしるされている。この献辞はそのまま、この詩の書かれた時代と、その歴史的背景をしめしている。
エルザ・トリオレの『赤い馬』があらわれたのは、一九五三年のすえであった。そうして、『赤い馬』にたいする詩による答えとして、一種の対位法として、『眼と記憶』がかかれ、あらわれたのは、一九五四年のおわりであった。
この詩の主題は『赤い馬』のそれとおなじく、こんにち、人類のうえに課せられている巨大な問題、つまり原水爆と人類という問題である。しかも、人類の史上で、かつてこれほど深刻な、重大な問題はなかった。原水爆によって、人類は、人類そのものの消滅、人類そのものの否定に、いまや面とむかっている。それと同時に、原子力を平和的に利用するという面では、人類は、すばらしく人間的な、あたらしい時代の夜明けまえにいるのだ。
この現代の、深刻な苦悩をまえにして、アラゴンは、ふかい人間的な意欲にもえた、ぼうだいな詩『眼と記憶』をかいた。死とたたかう生活のうた、未来と、可能な幸福の偉大なうたを。
約二千行におよぶ、このぼうだいな詩は、世界破滅の影像を、ありありとえがきだしている冒頭から、平和の勝利をうたい、予言する最後の詩句にいたるまで、ぼうだいな交響曲のように、進行し、展開する。偉大ないくつかのテーマ、それに応じたいろいろな韻律と調子、変曲をおりまぜて、読むものに深い共鳴をよびおこさずにはいない深さと密度と、また高いひびきとをもって、展開する。その内容からいえば、個人的な生活、詩人の内面的な、個性的な生活から、国民と人類の問題へと、この詩はみごとな調和をもって展開する。
この詩には、ひとりの人間の全生活がうたわれている。友人として、愛人として、詩人として、そうして党活動家としての、ひとりの偉大な人間の全生活がうたわれている。そのひろい知識と、その苦悩と悲痛と、その愛と善意と──ひとりの人間の全経験がうたわれている。このひとりの人間は、ひとびとの歴史のなかへととけこんでいる。未来へむかって前進するひとびとのなかにくわわっているのだ。
(「死とたたかう生と愛の歌──アラゴンの『眼と記憶』について」『ポエトロア」8号)
1 最後の審判はないだろう(テキスト)
2 人生は苦しんで生きるねうちがある
3 人民
4 ひとは遠くからやってくる
5 どのようにして水は澄んだか
6 未来へのほめ歌">未来へのほめ歌(テキスト)
7 平和の歌(テキスト)
(『アラゴン選集Ⅲ』飯塚書店)
長詩『眼と記憶』のとびらには、「『赤い馬』の作者におくる」という献辞がしるされている。この献辞はそのまま、この詩の書かれた時代と、その歴史的背景をしめしている。
エルザ・トリオレの『赤い馬』があらわれたのは、一九五三年のすえであった。そうして、『赤い馬』にたいする詩による答えとして、一種の対位法として、『眼と記憶』がかかれ、あらわれたのは、一九五四年のおわりであった。
この詩の主題は『赤い馬』のそれとおなじく、こんにち、人類のうえに課せられている巨大な問題、つまり原水爆と人類という問題である。しかも、人類の史上で、かつてこれほど深刻な、重大な問題はなかった。原水爆によって、人類は、人類そのものの消滅、人類そのものの否定に、いまや面とむかっている。それと同時に、原子力を平和的に利用するという面では、人類は、すばらしく人間的な、あたらしい時代の夜明けまえにいるのだ。
この現代の、深刻な苦悩をまえにして、アラゴンは、ふかい人間的な意欲にもえた、ぼうだいな詩『眼と記憶』をかいた。死とたたかう生活のうた、未来と、可能な幸福の偉大なうたを。
約二千行におよぶ、このぼうだいな詩は、世界破滅の影像を、ありありとえがきだしている冒頭から、平和の勝利をうたい、予言する最後の詩句にいたるまで、ぼうだいな交響曲のように、進行し、展開する。偉大ないくつかのテーマ、それに応じたいろいろな韻律と調子、変曲をおりまぜて、読むものに深い共鳴をよびおこさずにはいない深さと密度と、また高いひびきとをもって、展開する。その内容からいえば、個人的な生活、詩人の内面的な、個性的な生活から、国民と人類の問題へと、この詩はみごとな調和をもって展開する。
この詩には、ひとりの人間の全生活がうたわれている。友人として、愛人として、詩人として、そうして党活動家としての、ひとりの偉大な人間の全生活がうたわれている。そのひろい知識と、その苦悩と悲痛と、その愛と善意と──ひとりの人間の全経験がうたわれている。このひとりの人間は、ひとびとの歴史のなかへととけこんでいる。未来へむかって前進するひとびとのなかにくわわっているのだ。
(「死とたたかう生と愛の歌──アラゴンの『眼と記憶』について」『ポエトロア」8号)
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