一九四八年から一九五三年にかけて世界における「冷戦」は朝鮮戦争においてその頂点に達する。一九五〇年十二月、アメリカのトルーマン大統領は朝鮮戦争で原爆使用もありうると言明する。一九五二年、ビキニにおいてアメリカの水爆実験が行なわれ、日本人の漁夫がその犠牲になる。原爆にたいする世界的な恐怖は、未来への見通しをもった人たちをも昏迷におとしいれた。
『眼と記憶』は原水爆の脅威・恐怖が現実のものとなり、人類の生死にかかわる問題としてクローズアップしてきた状況のなかで書かれた。
冒頭の歌「最後の審判はないだろう」は原子兵器の使用によって引き起こされるかも知れない世界終末の光景を詩人は想像によって描いている。
しかし、原水爆の脅威とその怖ろしさにただ怖れおののいているなら、それは原水爆をふりかざして世界の人民を脅かしているやからの思うつぼにはまることになろう。アラゴンはその脅迫にたいして「人間の意志」を対置させる。
だがたとえ 歌が煙りのように消えてゆこうと
・・・
わたしは歌をうたいつづけよう
愛の歌で おまえに答えつづけよう
愛するひとよ わたしのただ一つのこだまよ
(新日本新書『アラゴン』 眼と記憶)
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