座談会 西條八十の詩業と人間
多くの新進を輩出した「鑞人形」「ポエトロア」
土橋治重 先生のヨーロッパ留学、およびそれに関することは、このへんにして……先生が後進を育てられた雑誌の仕事がございますね。「鑞人形」、「ポエトロア」についてお話をいただきたいと思います。「鑞人形」は昭和五年、先生が三十八才のときの五月発行になりまして、戦争中の昭和十九年休刊になっています。「ポエトロア」は戦後の二十七年、先生六十才のときの監修でして、これは三十三年に終刊、七年間続きました。このことについて「鑞人形」に深い関係のある大島さんからお願いします。
大島博光 私は昭和十一年ごろから編集に携わるようになったのですが、先生は寛大というか、ほとんど私に任せっきりで、私が自分の好きなようにしても、つまり当時私もシュールレアリスムの紹介などもしたり、そういう原稿を依頼したり、作ったりしておりましたが、先生は何にもおっしゃらずに任せて下さいました。
そういう中で逆に先生は新しいものに共感を持って、積極的な、進取的な態度をいつも持っていたという風に思われます。
土橋 山本さんどうぞ。
山本格郎 私は「鑞人形」のむしろ投書家の立場からということになりますが、大島先生は編集のほうに参画しておられましたが、とにかく当時の「鑞人形」は読者の詩と小曲、童謡、コント、短歌などがございましたが、そのうち、詩、小曲、小唄、つまり歌謡曲、それに童謡、この四つの種目がいわゆる西條八十選ということになっている。
ずい分私ら悪口いわれたんですが、それだけのものを西條先生がみんな選なさっているのか。私はそれはそれでいいと思うのです。西條先生の精神といいますか、エスプリというものがその雑誌全体をカバーしているので、これは一々全部集ってきた原稿を一人で選ばれるということは、これは事実そんなことはできもしませんし、私は西條八十選でいいと思っているのですが、私はその当時十七、八才のころですが、とにかく十七、八才のころというのは素晴しく書けるのですね。作品の質は別として、とにかくボリュームは多いわけです。それで詩、小曲、童謡、あらゆる部門にワッと原稿書いて送るわけです。そのうちで一つでも、二つでも載っておれば鬼の首取ったように喜んだ、そういう時代でした。
ちょうどあのころは元西條先生のやっておられました「愛誦」とか「鑞人形」、その他に「若草」とか、それに大関五郎さんのやっておられた「新日本民謡」とか、いろんな投書雑誌がこざいまして、そういう意味では投書雑誌が花咲りだったと思うのですが、そのうちでも「鑞人形」は私は際立った存在だったと思っております。その当時の投書家仲間から逐次準同人、同人とかというのが選ばれまして、そしてその人らの作品が本欄のほうに載るようになりまして、読んでお互いに大きな刺激を持って勉強したもんでした。
多くの新進を輩出した「鑞人形」「ポエトロア」
土橋治重 先生のヨーロッパ留学、およびそれに関することは、このへんにして……先生が後進を育てられた雑誌の仕事がございますね。「鑞人形」、「ポエトロア」についてお話をいただきたいと思います。「鑞人形」は昭和五年、先生が三十八才のときの五月発行になりまして、戦争中の昭和十九年休刊になっています。「ポエトロア」は戦後の二十七年、先生六十才のときの監修でして、これは三十三年に終刊、七年間続きました。このことについて「鑞人形」に深い関係のある大島さんからお願いします。
大島博光 私は昭和十一年ごろから編集に携わるようになったのですが、先生は寛大というか、ほとんど私に任せっきりで、私が自分の好きなようにしても、つまり当時私もシュールレアリスムの紹介などもしたり、そういう原稿を依頼したり、作ったりしておりましたが、先生は何にもおっしゃらずに任せて下さいました。
そういう中で逆に先生は新しいものに共感を持って、積極的な、進取的な態度をいつも持っていたという風に思われます。
土橋 山本さんどうぞ。
山本格郎 私は「鑞人形」のむしろ投書家の立場からということになりますが、大島先生は編集のほうに参画しておられましたが、とにかく当時の「鑞人形」は読者の詩と小曲、童謡、コント、短歌などがございましたが、そのうち、詩、小曲、小唄、つまり歌謡曲、それに童謡、この四つの種目がいわゆる西條八十選ということになっている。
ずい分私ら悪口いわれたんですが、それだけのものを西條先生がみんな選なさっているのか。私はそれはそれでいいと思うのです。西條先生の精神といいますか、エスプリというものがその雑誌全体をカバーしているので、これは一々全部集ってきた原稿を一人で選ばれるということは、これは事実そんなことはできもしませんし、私は西條八十選でいいと思っているのですが、私はその当時十七、八才のころですが、とにかく十七、八才のころというのは素晴しく書けるのですね。作品の質は別として、とにかくボリュームは多いわけです。それで詩、小曲、童謡、あらゆる部門にワッと原稿書いて送るわけです。そのうちで一つでも、二つでも載っておれば鬼の首取ったように喜んだ、そういう時代でした。
ちょうどあのころは元西條先生のやっておられました「愛誦」とか「鑞人形」、その他に「若草」とか、それに大関五郎さんのやっておられた「新日本民謡」とか、いろんな投書雑誌がこざいまして、そういう意味では投書雑誌が花咲りだったと思うのですが、そのうちでも「鑞人形」は私は際立った存在だったと思っております。その当時の投書家仲間から逐次準同人、同人とかというのが選ばれまして、そしてその人らの作品が本欄のほうに載るようになりまして、読んでお互いに大きな刺激を持って勉強したもんでした。
私はたまたまずっと関西に住んでおりますので、直接西條先生と接触する機会も非常に少なかったのですが、何しろお忙しい方でなかなかスケジュールが取れないのを、われわれ関西におりますものが、先生にぜひ一度来てくれということで、京都と大阪と神戸にみな支部がございましたので、その三支部の共同主催でもって先生を嵐山にお迎えしたことがございます。次の年でしたか、先生のいろんなお話を伺ったことがございます。先生に直接接触させていただいたというのはほとんどそれぐらいしかないので、あとは地方に住んでいる関係で、それ以上の直接の接触はみんな持たなかったんですけれども、そんな次第でございます。
大島 いまそれで思い出したのですが、毎年正月は十二社という所でカルタ会をやったのですよ。
西條嫩子 私「ポエトロア」のことはいうことございませんが、「鑞人形」の人たちの人格が孤高でして、あんまり団体を作らないで一人ひとりが高潔でして、やはりデリケートで、ここの大島さんや大沢さんも同じような感じです。
現在いろんな団体ございますが、そういう隊を組んでお互いにほめあっている勢いのいい年よりとちょっと違って、何か非常に孤高のよさを持った方たちが多かった。だから私は人格的に「鑞人形」の方たちに非常に敬意を表しております。つまり父の気風が孤独に出たり冥想の中から書きあげるような作品ばかりだったからでしよう。
土橋 私もあそこにいた人をたくさん知っています。亡くなった小山銀子さん、秋野さち子さんもそうですし。
大沢寛三 「鑞人形」からお出になった詩人はたくさんいらっしやるのですね。それを山本さんにお伺いしようと思っていました。
西條 でも土橋さんあたりに引立てていただかないと、みんな静かで一人でしていらっしやる。この方(土橋氏)が秋野さんや小山さんを引立てて下さいまして、孤独漬けから救って下さったのですね。私はおやじの横でやっておりますから余光も多少ありますが、他の方たちは皆さん本当に高潔過ぎるんですね。けれど魂と力はある人たちなんですね。
・・・
大沢 話は戻りますが、ぼくは卒業論文にビクトル・ユーゴーの研究をやったんですよ。それを先生から鑞人形に書けと仰言られた。それで三回ほど連載させていただいて…‥しかし考えてみますと「鑞人形」といい、「ポエトロア」といい、非常に立派な雑誌だと思うのです。これを何か復刻、合本のようなものが考えられないかと思いますが。
土橋 竹久さん「ポエトロア」でも、「鑞人形」でも、何でもいいですから、どうぞ。
西條 まだこんなに小さかったんじゃないんですか。
竹久明子 いや、そんなことはないですよ(笑)。「ポエトロア」はすごい本なんですね。表紙の装丁から気品があってユニークでした。中身がそれにファンタジックで…‥。
西條 いえ、この方(大島氏)がした「鑞人形」のほうが素敵でした。小山田二郎の不思議な感覚のような…‥。
竹久 「鑞人形」は横山青蛾先生の所でちょっと拝見したくらいで、知りません。「ポエトロア」については奥行きの深い、すごいものでしたが、あれをぜひいまお話しございましたが、復刻なさっていただきたいと思いますね。
西條 大島さんのなさった「鑞人形」、あれは大島さんになったとたんに質がよくなっちゃって、あとは佐伯孝夫さんや門田穣さんもして下さいました。大島さんのときはグンとアカデミック、フランス的な質量が、新しさが出ましたね。
竹久 多少付け加えますと、何んとなく国文のほうを拒否したというような一面がありまして、外国文学の洪水のような観が致します。多少とも日本文学のよさ、先生は「伊勢物語」などをじっくり勉強しておられた様子で、それが作品に巧みに反映しているのですね。ですから国文にも非常に造詣が深かったといえるのです。ですからその和洋折衷というか。ある程度外国文学に非常に比重が大きかったということで、それで迎えられたということもありますかしら。
大沢 表紙はどなたでしたか、素晴しかったですね。
大島 初めは三岸節子さんの絵で、最近回顧展をやっていますが、あのころは鷺宮にいらして、だんだん書いてもらえなかったので、マチスのデッサンなど(笑いながら)黙って使ったりして……。
マチスなどおもしろかったですね。
・・・
(「無限」44号 特集 西條八十)(昭和56年6月15日発行)
大島 いまそれで思い出したのですが、毎年正月は十二社という所でカルタ会をやったのですよ。
西條嫩子 私「ポエトロア」のことはいうことございませんが、「鑞人形」の人たちの人格が孤高でして、あんまり団体を作らないで一人ひとりが高潔でして、やはりデリケートで、ここの大島さんや大沢さんも同じような感じです。
現在いろんな団体ございますが、そういう隊を組んでお互いにほめあっている勢いのいい年よりとちょっと違って、何か非常に孤高のよさを持った方たちが多かった。だから私は人格的に「鑞人形」の方たちに非常に敬意を表しております。つまり父の気風が孤独に出たり冥想の中から書きあげるような作品ばかりだったからでしよう。
土橋 私もあそこにいた人をたくさん知っています。亡くなった小山銀子さん、秋野さち子さんもそうですし。
大沢寛三 「鑞人形」からお出になった詩人はたくさんいらっしやるのですね。それを山本さんにお伺いしようと思っていました。
西條 でも土橋さんあたりに引立てていただかないと、みんな静かで一人でしていらっしやる。この方(土橋氏)が秋野さんや小山さんを引立てて下さいまして、孤独漬けから救って下さったのですね。私はおやじの横でやっておりますから余光も多少ありますが、他の方たちは皆さん本当に高潔過ぎるんですね。けれど魂と力はある人たちなんですね。
・・・
大沢 話は戻りますが、ぼくは卒業論文にビクトル・ユーゴーの研究をやったんですよ。それを先生から鑞人形に書けと仰言られた。それで三回ほど連載させていただいて…‥しかし考えてみますと「鑞人形」といい、「ポエトロア」といい、非常に立派な雑誌だと思うのです。これを何か復刻、合本のようなものが考えられないかと思いますが。
土橋 竹久さん「ポエトロア」でも、「鑞人形」でも、何でもいいですから、どうぞ。
西條 まだこんなに小さかったんじゃないんですか。
竹久明子 いや、そんなことはないですよ(笑)。「ポエトロア」はすごい本なんですね。表紙の装丁から気品があってユニークでした。中身がそれにファンタジックで…‥。
西條 いえ、この方(大島氏)がした「鑞人形」のほうが素敵でした。小山田二郎の不思議な感覚のような…‥。
竹久 「鑞人形」は横山青蛾先生の所でちょっと拝見したくらいで、知りません。「ポエトロア」については奥行きの深い、すごいものでしたが、あれをぜひいまお話しございましたが、復刻なさっていただきたいと思いますね。
西條 大島さんのなさった「鑞人形」、あれは大島さんになったとたんに質がよくなっちゃって、あとは佐伯孝夫さんや門田穣さんもして下さいました。大島さんのときはグンとアカデミック、フランス的な質量が、新しさが出ましたね。
竹久 多少付け加えますと、何んとなく国文のほうを拒否したというような一面がありまして、外国文学の洪水のような観が致します。多少とも日本文学のよさ、先生は「伊勢物語」などをじっくり勉強しておられた様子で、それが作品に巧みに反映しているのですね。ですから国文にも非常に造詣が深かったといえるのです。ですからその和洋折衷というか。ある程度外国文学に非常に比重が大きかったということで、それで迎えられたということもありますかしら。
大沢 表紙はどなたでしたか、素晴しかったですね。
大島 初めは三岸節子さんの絵で、最近回顧展をやっていますが、あのころは鷺宮にいらして、だんだん書いてもらえなかったので、マチスのデッサンなど(笑いながら)黙って使ったりして……。
マチスなどおもしろかったですね。
・・・
(「無限」44号 特集 西條八十)(昭和56年6月15日発行)
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この記事へのコメント
西条八十は戦時下において『若鷲の歌』、『同期の桜』をはじめとする数々の軍歌、軍事歌謡の作詞を手がけ、国民の戦意高揚に大きく貢献したと聞きました。そういうことについて、戦後、反省の弁を公にされているのでしょうか?
2009/11/28(土) 00:32 | URL | 通りすがりの者 #-[ 編集]
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