八〇歳になった
大島博光
いつのまにか わたしも八〇歳になった
幾度となく 死にそこね生きそこねて
洪水の千曲川の 滔々と流れる濁流に
いのち知らずにも 飛びこんで泳いだ
槍の東の肩の 馬の背の脇腹を這って
危うく 谷底へ滑落するところだった
危うい瀬戸ぎわや 剣が峰をわたって越えた
めくらめっぽうに 向う見ずに 気まぐれに
わたしも 犬どもに追われて噛みつかれた
死にいたる病いを 危うくくぐり抜けた
暗い時代で 生きる目的(あて)も希望も見えずに
愚行のあまり わたしは靴で酒をあふった
また うつつを抜かした夢遊病者のように
わたしは 月夜の屋恨の上で踊りもした
そんな 世にすねた すとん狂のなかから
わたしを連れ出してくれる女に巡り会った
愛をあなどり 愛に絶望していたわたしを
彼女は 愛の力でよみがえらせてくれた
そうして 根なし草の暮らしから抜け出よう
もっと人間らしい 生き甲斐を見つけようと
ある雪の日 わたしはまっすぐ党へ行った
党は 何も知らなかったわたしに教えてくれた
詩人は 何を だれのために歌うべきかを
いちばん大事なのは何か 見わける術を
もしもわたしが 少しでも人間らしくなり
いまも 詩のようなものを書きうるとすれば
そうしてなお 生きる希望をもつとすれば
それはひたすら 党の教えのおかげなのだ
幾度となく 死にそこね 生きそこねて
わたしも八〇歳になった いつのまにか
(一九九〇年十一月十七日)
<詩集「冬の歌」青磁社 1991年>
大島博光
いつのまにか わたしも八〇歳になった
幾度となく 死にそこね生きそこねて
洪水の千曲川の 滔々と流れる濁流に
いのち知らずにも 飛びこんで泳いだ
槍の東の肩の 馬の背の脇腹を這って
危うく 谷底へ滑落するところだった
危うい瀬戸ぎわや 剣が峰をわたって越えた
めくらめっぽうに 向う見ずに 気まぐれに
わたしも 犬どもに追われて噛みつかれた
死にいたる病いを 危うくくぐり抜けた
暗い時代で 生きる目的(あて)も希望も見えずに
愚行のあまり わたしは靴で酒をあふった
また うつつを抜かした夢遊病者のように
わたしは 月夜の屋恨の上で踊りもした
そんな 世にすねた すとん狂のなかから
わたしを連れ出してくれる女に巡り会った
愛をあなどり 愛に絶望していたわたしを
彼女は 愛の力でよみがえらせてくれた
そうして 根なし草の暮らしから抜け出よう
もっと人間らしい 生き甲斐を見つけようと
ある雪の日 わたしはまっすぐ党へ行った
党は 何も知らなかったわたしに教えてくれた
詩人は 何を だれのために歌うべきかを
いちばん大事なのは何か 見わける術を
もしもわたしが 少しでも人間らしくなり
いまも 詩のようなものを書きうるとすれば
そうしてなお 生きる希望をもつとすれば
それはひたすら 党の教えのおかげなのだ
幾度となく 死にそこね 生きそこねて
わたしも八〇歳になった いつのまにか
(一九九〇年十一月十七日)
<詩集「冬の歌」青磁社 1991年>
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