人民の木
パブロ・ネルーダ
大島博光訳
(「角川書店「ネルーダ詩集」)
────────────────────────────
「解放者たち」
こうして四〇〇年来、収奪の車はまわりつづける。かって黄金をつんで運んだ車は、こんにち、銅、硝石、ゴム、砂糖、コーヒーを積んでまわっている。搾取され、掠奪され、みずからは飢えに呻く国に、「人民の木 嵐にざわめく木」は伸びる。おそるべき搾取と拷問につちかわれ、征服者、侵略者どもに殺された死者たちの血を吸って伸びる。『大いなる歌』の第四章「解放者たち」の冒頭を飾るのが「人民の木」である。
血ぬられ飢えた大地から、民族の解放と自由をめざしてたたかう英雄たち解放者(リベラリスト)たちが立ちあがってくる。『大いなる歌』の第四章はそれら解放者たちにささげられた賛歌である。バルトロメ・デ・ラス・カザス、トキ・カウポリカン、ラウターロ、トパック・アマルー、オヒギンスから、サン・マルチン、ミランダ、マヌエル・ロドリゲス、マルチ、ザバタにいたり、またチリ共産党の創立者レカバーレン、ブラジル共産党のプレステスにいたる、革命的伝統の年代記(クロニック)であり、ラテン・アメリカにおける抵抗の英雄たちの群像である。
(新日本新書「パブロ・ネルーダ」)
パブロ・ネルーダ
大島博光訳
見てくれ この木を
ざわめく革命の木だ 人民の木だ
木の葉が 樹液から萌えでるように
英雄たちは 大地から 湧き出る
そして 風が吹けば
木の茂みは いっせいに ぎわめき鳴り
パンの種子(たね)は 熟れて
ふたたび 地に落ちる
見てくれ この木を
この木を育てたのは すっぱだかにされた死者たちだ
鞭でたたかれ 傷だらけにされ
無残な顔をした死者たちだ
槍で 串刺しにされ
燃えさかる火で あぶり殺され
斧(おの)で 首を斬りおとされ
馬に縛りつけられて 四つ裂きにされ
教会で はりつけにされた死者たちだ
見てくれ この木を
たくましい根をした この木を
殉教者の骨を 吸いとり
その根で 流された血を飲みこみ
土に浸みこんだ涙を吸いあげて
それらを 枝枝にくばり
梢のさきにまでとどけた
膝につける花は 眼に見えない花であり
地下にかくれた花であり
またある時には その花びらは
星星のように 光りかがやいた
そして人は 枝のうえの
固くなった花冠を摘んで
マグノリア・メタルや 手榴弾(てりゅうだん)のように
手から手へと 渡した
と とつぜん 花冠は大地をひらき
花冠は 星にとどくばかり 大きくなった
それは 自由な人間たちの木だ
大地の木だ 雲の木だ
パンの木だ 矢の木だ
くびきの木だ 炎の木だ
われらの 暗い夜の時代の
嵐に荒れ狂う波は
この木を呑みこもうとする
しかし 力強いこの木のしるしである
そのマストは 揺れているのだ
怒った敵によって へし折られた枝枝は
ふたたび地に落ち
灰となっても なお
時代おくれの君主をおびやかし
こうして ほかの時代をよぎり
こうして 苦しみから抜けでて
ついに ひそかな手が
数えきれぬ腕が
人民が 残ったその断片(かけら)をまもり
変ることのない幹をかくし
かれらのくちびるは その共有の
大いなる木の 木の葉となり
すべての部分から散らばって ひろまり
その根とともに 前進する
それは 人民の木だ
すべての人民の木だ
自由の木 闘争の木だ
さあ きみは その髪の毛のうえに身をかがめ
よみがえった その光に触れるがいい
その工場の中に 手をさし入れるがいい
その工場では 勝ちとった成果が 生き生きとして
毎日 光を伝播(でんぱ)しているのだ
さあ きみの手の中の大地をもちあげ
そのすばらしさをわかちあうがいい
きみのパンと きみの林檎(りんご)をとれ
きみの心と きみの馬をとれ
そうして 木の葉たちの果てにある
国境の見張りにつくがいい
花冠の未来をまもれ
不吉な夜夜をともに見張り
あけぼのの輪を 見まもれ
星の降るような高みを望みながら
木をしっかりと支えろ
大地のまっただなかに伸びてゆく木を
*マグノリア 木蓮の花を意味するが、また減摩合金を製するマグノリア・メタルも意味する。同様に、「手榴弾」は「ざくろの実」から転化したものである。これら二つの意味をもったニュアンスをもって、読んでいただきたい。ざわめく革命の木だ 人民の木だ
木の葉が 樹液から萌えでるように
英雄たちは 大地から 湧き出る
そして 風が吹けば
木の茂みは いっせいに ぎわめき鳴り
パンの種子(たね)は 熟れて
ふたたび 地に落ちる
見てくれ この木を
この木を育てたのは すっぱだかにされた死者たちだ
鞭でたたかれ 傷だらけにされ
無残な顔をした死者たちだ
槍で 串刺しにされ
燃えさかる火で あぶり殺され
斧(おの)で 首を斬りおとされ
馬に縛りつけられて 四つ裂きにされ
教会で はりつけにされた死者たちだ
見てくれ この木を
たくましい根をした この木を
殉教者の骨を 吸いとり
その根で 流された血を飲みこみ
土に浸みこんだ涙を吸いあげて
それらを 枝枝にくばり
梢のさきにまでとどけた
膝につける花は 眼に見えない花であり
地下にかくれた花であり
またある時には その花びらは
星星のように 光りかがやいた
そして人は 枝のうえの
固くなった花冠を摘んで
マグノリア・メタルや 手榴弾(てりゅうだん)のように
手から手へと 渡した
と とつぜん 花冠は大地をひらき
花冠は 星にとどくばかり 大きくなった
それは 自由な人間たちの木だ
大地の木だ 雲の木だ
パンの木だ 矢の木だ
くびきの木だ 炎の木だ
われらの 暗い夜の時代の
嵐に荒れ狂う波は
この木を呑みこもうとする
しかし 力強いこの木のしるしである
そのマストは 揺れているのだ
怒った敵によって へし折られた枝枝は
ふたたび地に落ち
灰となっても なお
時代おくれの君主をおびやかし
こうして ほかの時代をよぎり
こうして 苦しみから抜けでて
ついに ひそかな手が
数えきれぬ腕が
人民が 残ったその断片(かけら)をまもり
変ることのない幹をかくし
かれらのくちびるは その共有の
大いなる木の 木の葉となり
すべての部分から散らばって ひろまり
その根とともに 前進する
それは 人民の木だ
すべての人民の木だ
自由の木 闘争の木だ
さあ きみは その髪の毛のうえに身をかがめ
よみがえった その光に触れるがいい
その工場の中に 手をさし入れるがいい
その工場では 勝ちとった成果が 生き生きとして
毎日 光を伝播(でんぱ)しているのだ
さあ きみの手の中の大地をもちあげ
そのすばらしさをわかちあうがいい
きみのパンと きみの林檎(りんご)をとれ
きみの心と きみの馬をとれ
そうして 木の葉たちの果てにある
国境の見張りにつくがいい
花冠の未来をまもれ
不吉な夜夜をともに見張り
あけぼのの輪を 見まもれ
星の降るような高みを望みながら
木をしっかりと支えろ
大地のまっただなかに伸びてゆく木を
(「角川書店「ネルーダ詩集」)
────────────────────────────
「解放者たち」
こうして四〇〇年来、収奪の車はまわりつづける。かって黄金をつんで運んだ車は、こんにち、銅、硝石、ゴム、砂糖、コーヒーを積んでまわっている。搾取され、掠奪され、みずからは飢えに呻く国に、「人民の木 嵐にざわめく木」は伸びる。おそるべき搾取と拷問につちかわれ、征服者、侵略者どもに殺された死者たちの血を吸って伸びる。『大いなる歌』の第四章「解放者たち」の冒頭を飾るのが「人民の木」である。
血ぬられ飢えた大地から、民族の解放と自由をめざしてたたかう英雄たち解放者(リベラリスト)たちが立ちあがってくる。『大いなる歌』の第四章はそれら解放者たちにささげられた賛歌である。バルトロメ・デ・ラス・カザス、トキ・カウポリカン、ラウターロ、トパック・アマルー、オヒギンスから、サン・マルチン、ミランダ、マヌエル・ロドリゲス、マルチ、ザバタにいたり、またチリ共産党の創立者レカバーレン、ブラジル共産党のプレステスにいたる、革命的伝統の年代記(クロニック)であり、ラテン・アメリカにおける抵抗の英雄たちの群像である。
(新日本新書「パブロ・ネルーダ」)
- 関連記事
-
-
パブロ・ネルーダ 『きこりよ めざめよ』 2009/12/13
-
パブロ・ネルーダ 『レカバーレン』 2009/12/12
-
ユナイテッド・フルーツCo. 2009/11/16
-
天上の詩人たち 2009/11/15
-
人民の木(解放者たち) 2009/11/13
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/364-b3297e82
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック