リラと薔薇
一九四〇年四月、アラゴンの部隊はベルギーに派遣される。彼は医療班長として、第三軽機械化部隊(DLM)に配属されていた。部隊は、ブリュッセル東方のチルルモン郊外のベルギー軍陣地を救援することになっていた。しかし五月初め、アラゴンの部隊がチルルモンの近くに到着したときには、ドイツ軍の先遣部隊はすでに一○○メートル先に迫っていた。この危険な状況のなかで、アラゴンは打撃をうけた戦車から負傷兵を救出する方法を考案して、救助活動に従う。しかし連合軍の敗北による潰走が始まる。アラゴンも部隊とともにチルルモンからダンケルクへむかって、休みなしに退却をつづけ、五月二十九日ダンケルクに到着する……「ダンケルクの悲劇」である。「リラと薔薇」はこの時期を反映している。
おお 花の咲く月 虫が姿を変える月
雲のなかった五月と 胸えぐられた六月と
わたしはけっして忘れまい リラと薔薇とを
春が その襞(ひだ)のなかで まもった人たちを
わたしは忘れまい 恐ろしい悲劇の 幻(まぼろし)を
長い行列や叫び声や むらがる群衆や太陽を
愛を積み込んだ戦車や ベルギーの贈り物を……
わたしは忘れまい 消えうせた数世紀の
ミサの祈疇書にも似た フランスの庭を
夜な夜なの騒ぎと なぞを秘めた沈黙を……
こん夜きけば パリはついに陥ちたという
わたしはけっして忘れまい リラと薔薇とを
そうしてわれらがうしなった 二つの愛を
「胸えぐられた六月」というのは、四〇年六月のダンケルクの悲劇につづいて、六月十四日にはパリが陥落し、十八日には独仏休戦条約が調印されたことを指している。
「愛を積みこんだ戦車やベルギーの贈り物……」という詩句は、ベルギーで受けた歓迎の光景をうたっている。
こん夜きけば パリはついに陥ちたという
これについてサドゥールは書いている。「この詩句はいまもわれわれの記憶のなかに鳴りひびいている。かつてユゴーが、単純に直接的に書いた『子どもは頭に二発の弾丸をぶちこまれ た』という詩句と同じように……」(『アラゴン』)
さて、『断腸詩集』の終りには「一九四〇年の押韻」という詩論が置かれている。これはフランスの抵抗詩を理解するうえで、きわめて重要な文章である。詩の大衆化の問題、敵の検閲の目をくらますための、詩における「密輸」の問題、詩における民族的伝統、民族形式に根ざした詩的表現の問題(新しい押韻の創造、押韻革新の問題)|これらの問題についてアラゴンがすでにずっと以前から考察を加え、研究していたことを、この一文は物語っている。アラゴンは鋭い先見の明をもって「合法的」な抵抗詩の役割を定義づけている。
「人間がかつてないほど深く辱められ、かつてないほど人間の尊厳が完全に剥奪されているこんにちほど、事物をして歌わせるということが、人間にとって緊急にして気高い使命となったことは、恐らくいまだかつてなかった。このことをはっきりと意識しているわれわれはたぶん少数派かも知れないが、ごうごうたる人間侮辱の騒音のなかでも、われわれは勇気をもって真実の人間の言葉を守りつづけ、そのオーケストラによって夜鳴きうぐいすどもを蒼ざめさせるであろう」
(新日本新書『アラゴン』)
一九四〇年四月、アラゴンの部隊はベルギーに派遣される。彼は医療班長として、第三軽機械化部隊(DLM)に配属されていた。部隊は、ブリュッセル東方のチルルモン郊外のベルギー軍陣地を救援することになっていた。しかし五月初め、アラゴンの部隊がチルルモンの近くに到着したときには、ドイツ軍の先遣部隊はすでに一○○メートル先に迫っていた。この危険な状況のなかで、アラゴンは打撃をうけた戦車から負傷兵を救出する方法を考案して、救助活動に従う。しかし連合軍の敗北による潰走が始まる。アラゴンも部隊とともにチルルモンからダンケルクへむかって、休みなしに退却をつづけ、五月二十九日ダンケルクに到着する……「ダンケルクの悲劇」である。「リラと薔薇」はこの時期を反映している。
おお 花の咲く月 虫が姿を変える月
雲のなかった五月と 胸えぐられた六月と
わたしはけっして忘れまい リラと薔薇とを
春が その襞(ひだ)のなかで まもった人たちを
わたしは忘れまい 恐ろしい悲劇の 幻(まぼろし)を
長い行列や叫び声や むらがる群衆や太陽を
愛を積み込んだ戦車や ベルギーの贈り物を……
わたしは忘れまい 消えうせた数世紀の
ミサの祈疇書にも似た フランスの庭を
夜な夜なの騒ぎと なぞを秘めた沈黙を……
こん夜きけば パリはついに陥ちたという
わたしはけっして忘れまい リラと薔薇とを
そうしてわれらがうしなった 二つの愛を
「胸えぐられた六月」というのは、四〇年六月のダンケルクの悲劇につづいて、六月十四日にはパリが陥落し、十八日には独仏休戦条約が調印されたことを指している。
「愛を積みこんだ戦車やベルギーの贈り物……」という詩句は、ベルギーで受けた歓迎の光景をうたっている。
こん夜きけば パリはついに陥ちたという
これについてサドゥールは書いている。「この詩句はいまもわれわれの記憶のなかに鳴りひびいている。かつてユゴーが、単純に直接的に書いた『子どもは頭に二発の弾丸をぶちこまれ た』という詩句と同じように……」(『アラゴン』)
さて、『断腸詩集』の終りには「一九四〇年の押韻」という詩論が置かれている。これはフランスの抵抗詩を理解するうえで、きわめて重要な文章である。詩の大衆化の問題、敵の検閲の目をくらますための、詩における「密輸」の問題、詩における民族的伝統、民族形式に根ざした詩的表現の問題(新しい押韻の創造、押韻革新の問題)|これらの問題についてアラゴンがすでにずっと以前から考察を加え、研究していたことを、この一文は物語っている。アラゴンは鋭い先見の明をもって「合法的」な抵抗詩の役割を定義づけている。
「人間がかつてないほど深く辱められ、かつてないほど人間の尊厳が完全に剥奪されているこんにちほど、事物をして歌わせるということが、人間にとって緊急にして気高い使命となったことは、恐らくいまだかつてなかった。このことをはっきりと意識しているわれわれはたぶん少数派かも知れないが、ごうごうたる人間侮辱の騒音のなかでも、われわれは勇気をもって真実の人間の言葉を守りつづけ、そのオーケストラによって夜鳴きうぐいすどもを蒼ざめさせるであろう」
(新日本新書『アラゴン』)
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