この頃、一九四三年三月、アラゴンの合法的な最後の詩で、後に有名になる「薔薇と木犀草」が発表される。
薔薇と木犀草 (抄)
神を信じたものも
信じなかったものも
ドイツ兵に囚われた あの
美しきものをともに讃えた
……
神を信じたものも
信じなかったものも
ひとりは地を駆けひとりは空をとぶ
ブルターニュから ジュラの山から
蝦夷苺よ すももよ
蟋蟀(こおろぎ)もなお歌いつづけよ
語れ フリュートよ セロよ
雲雀と燕とを
薔薇と木犀草とを
ともに燃えたたせたあの愛を
(『フランスの起床ラッパ』)
この詩はキリスト者のエティアンヌ・ドルヴとジルベエル・ドリュと同時に共産党員ペリとモケーにささげられている。この詩は、思想と信仰はちがっていても、ともに祖国解放のために倒れていった英雄たちと、その共同のたたかいへの讃歌として、ひろい統一行動への呼びかけとして、ひろく知られている。
この詩がささげられているひとりジルベエル・ドリュはカトリックの学生で、一九四四年七月二十七日、リヨン市のベルクール広場でドイツ軍によって銃殺された。「手を触れるべからず」というドイツ軍の布告のために、遺体は三十日午後四時まで放置された……。ドリュの遺体が収容されたとき、そのポケットから赤い表紙の小さな詩集が出てきた。アラゴンの『ブロセリアンドの森』だった。アラゴンは書く。
「こうしてこの唯物論者の詩集は、見知らぬフランスの若者の、キリスト者としての情熱に結びつくことになった……」
共産党員とキリスト者との共同闘争はレジスタンスにおいては日常的な事実であった。詩の領域においても、多くのキリスト者詩人、たとえば大詩人ピエル・ジャン・ジゥヴ、ピエル・エマニュエルを始めとして、ロワ・マッソン、ジャン・カイロールなどがレジスタンスに参加し、共産党員詩人たちとの共同のたたかいをすすめたのだった。
(「ガブリエル・ペリの死──責苦のなかで歌った者のバラード」へつづく)
(新日本新書『アラゴン』)
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